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書くことの楽しさを再認識している

私はnoteを始めてまだ一ヶ月も経っていない。
この短い間に、沢山の事を書いた気がする。記事の数は少ないけれど、その一つ一つにこれまでの生き方を詰め込んで、これまで放出出来ていなかった事を沢山、沢山書いてきた気がする。
過去の辛さや悔しさ、新たな道が開けた時の涼やかな感覚、好きなものについても触れたし、考え方に関しても結構振り返りが出来ているんじゃないか。自分ではそう思っている。

もともと子供の頃から文章を書くのは好きだった。
小学生の頃は児童向けの童話や推理小説にのめり込んだし、中学生の頃は雨月物語のような古典文学にはまった。高校の頃は…もう二次元にどっぷりつかっていたものだから、活字に触れるのは漫画と教科書位になってしまっていたけれど。
それでも趣味で小説を書いた時期もあったし、枕草子の美しさに心を奪われたりもしていた。Yの悲劇のラストに全身が粟立ち、自分が書いた文章への感想に目を潤ませたりもした。
長らく自分の想いや創造したものを書くことから遠ざかっていたけれど、今回noteに出会って再び書くことの楽しさを噛みしめているところだ。正直な話、ずっと『何か書く仕事がしたいな』とうっすら思ってはいた。子供の頃から、ずっと書くことを生業に出来たらいいなと思ってきた。それは小説家でも漫画家でも、脚本家でもエッセイストでも、編集者や校閲者でもよかった。とにかく、何かをしたため発信する事に関わりたかったのだ。

生憎、今の私はその想いをふんわり持ちつつも、福祉の世界で年を取っても働くぞと考えている。現実を見据えた選択ではあったが、実の所出会うべくして出会った世界なのだとも感じている。とはいえ、ほんの数年前までは想像もしていなかった場所に立っているわけなのだが……。
ここへたどり着いた経緯についても記事に出来たし(仕事についてはもうちょい掘り下げて書きたい)、改めて自分が、慎重派のくせにいざとなると即行動を起こす牡羊座らしい側面を持っていると気付けた。星座や血液型で全ての人の性格が分けられるなんて思っちゃいないが、牡羊座O型という組み合わせは自分になかなかしっくりくるのではと思っている。ここ数年の動き方を振り返れば。

と、こうして話が大きく逸れてしまっても許される感じがあるのがnoteの素晴らしいところだと思う。何を書いても、どう書いても受け入れてくれそうな、そんな器の大きさがnoteには備わっているのだ。
そして、少しでも私の文章に目を留めてくれるネットの向こう側のあなたにも。こんなとりとめのない記事を読んで下さってありがとうございます。



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