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『会いたい』の未来

ある人と「人と人が直接会って話すことに意味はあるのか?」ということについて話し合ったのは、まだガラケーが一般的だった2010年頃の話だ。

感情論だと分かりつつ、当時の私は、「直接会った方があったかい」と思っていた。
挨拶代わりにハグやキスする文化圏に暮らしているわけではなくても、画面越しでは共有できない肉声とか細かな息遣いとか、場の空気感とか、そういうものたちによって、直接会った方があたたかみがあると思っていた。

それに対して、
「この先、世の中にビデオ通話が普及して、通信環境も今よりずっと向上したら、直接会わなくてもタイムラグなく話せて、音声も表情もしっかり綺麗に届くようになる。そういう技術が当たり前になった時、それでも生身の人間同士が直接会う意味って何になるんだろう?」
と問われて、私は答えに窮したのを今でも覚えている。「会話をする」という目的だけを考えれば、私の感情論は、その問いに対する答えとして強く主張できるものではないような、そんな気がしてしまったのだ。

あれから10年が経ち、私は先日初めて、友人と「オンラインお茶会」をした。
予め決めておいた時間からビデオ通話を始めて、各々用意した好きな飲み物(ちなみに私はルイボスティー)を飲みながら、会話は思いの外盛り上がり、愉快なティータイムになった。

なんだ、結構普通に楽しいじゃん。

それでも、お互いの近況を一通り話し終わると、次に出てきたのは「会いたいね」という言葉だった。顔を見て話していても、「会いたいね」。そして、約2時間程続いたお茶会は「落ち着いたら会おうね」「会えるの楽しみにしてるね」という言葉で幕を閉じた。

10年前には想像もしていなかった未来で、私は今、もう一度考えている。

人と人が直接会うことの意味は何だろう?

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人生初のオンラインお茶会の後、私はふと10年前の問いを思い出して、考え込んでしまった。「会いたいね」と言ったのは本心だけど、会わなければ得られないものってあるんだろうか?

そして、「こんな風に『会いたい』と思うのは、もしかしたら私たちにとって今はまだ、人と直接会って話すことの方が”当たり前”だからなのかもしれない」なんてことを思った。

今私たちが置かれているこの状況が、数週間や数ヶ月で元通りになればいいけれど、収束までは2〜3年、いや5年、いやいや10年かかる、と語る専門家もいる。

この先、一時的なブームではなく、人と会う手段として「オンラインお茶会」や「オンライン飲み」が新しい"当たり前"になったりしたら、そんな世界でも私たちは変わらず『会いたい』と思うのだろうか?この先『会いたい』という感情は、今よりも希少で純粋で特別なものになるのではないだろうか?

○ ○ ○

例えば、人が遠くの誰かに何かを文字で伝える手段は、手書きからタイプライターなどでの印字、手紙から電報、メール、チャット、SNSと変化してきた。文字のやりとりに関して、私たちはこれまで何度も“当たり前”を塗り替えてきている。

ただ、世の中に新しい技術が浸透していくとき、大抵の場合、最初は「従来の”当たり前”」に「未来の"当たり前"」が滲むように広がり、私たちはほんのり「違和感」を感じながらも少しずつ「新しい”当たり前”」に順応して、いつの間にか「違和感」は消えていくというプロセスを踏んできた。

それが今は人と会う方法について、突然「従来の"当たり前"」に「新しい"当たり前"」がベタッと上塗りされたような感じだ。
そういう状況で私たちが「会いたいね」と言い合うのは、「新しい"当たり前"」に「違和感」を感じているというだけなのかもしれない………

そして、そうした「違和感」が時間と共に自然と薄れていくものだとしたら、私たちの中の多くの『会いたい』もいつかは薄れていくものかもしれない………

そんなことを考えた。

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世界から『会いたい』が薄れていくのは、とても寂しい。だけど、薄れても消えることはなくて、寧ろ私たちは「本当の『会いたい』」を見つけることになるのではないかと思う。

私たちは「過去の”当たり前”」に対して、時に懐かしさを、時に温もりのようなものを感じて、利便性や効率化と相反する手段を敢えて用いることによって、感情のやりとりをすることがある。

例えば、今の時代に手紙を書くことは、特別なことだ。書き手が綴る文章の意味だけでなく、相手の為にひと手間かけることにも意味があり、それ自体が相手への感謝や愛情などの表現方法になり得る。

そう考えると、この先、人と直接会うことは、手紙を書くのと同じような行為になるかもしれない。
どんなに離れていても顔を見て話せる世界において、『会いたい』対象は間違いなく特別な存在だ。

『会いたい』と思うこと、そして互いに話し合って決めた場所に時間をかけて集まり直接会うこと、同じ空間にいて体験を共有することが、これまで以上に、言葉にはならない特別な意味を纏う世界がやってくるかもしれない………

と、少し先の未来を想像(妄想)してみたりした。

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ビデオ通話でもそれなりに会話を楽しめることを知った私たちが、元のような生活に戻ったとしても、それはもう元の私たちではない。

直接会うこと/会えることは、既に私たちの中で"当たり前"ではなくなっている。

人と人が直接会うことの意味は何か?

この問いに一言で答えるとするならば、『ひとつの愛情表現』だと今は思う。その相手が家族でも、友人でも、恋人でも、それ以外でも。

今は未だ先行き不透明な状況だけれど、そんな中でもどうか貴方と、貴方の『会いたい』人が、少しでも心穏やかに過ごせますように。

Kei