見出し画像

『蜜蜂と遠雷』を読む。

長いこと読書感想文を書いていなかったのですが、その間も読書はのんびりゆったり続けていました。
そして、昨晩、遂に、恩田陸さん著『蜜蜂と遠雷』上下巻共に読了!ということで、久しぶりに読書感想文書こうと思います。

◯ ◯ ◯

まず、この作品を読み終わったとき、達成感・高揚感・安らぎ・幸福感、と同時に、ある種の疲労感、倦怠感がやってきた。そして、この感覚は、物語の中の「芳ヶ江国際ピアノコンクール」に関わった全ての登場人物たちが感じて居たそれと同じものかもしれない、と思った。それは、全てを読んだ人にしかわからない、不思議な感覚のような気がします。

人生の何千何万という時間を音楽に捧げて積み重ねてきたものをコンクールのステージで表現するということ。或いは、幾人ものコンテスタントの演奏を長時間客席に身を沈めながら集中して聴き続けるということ。

そこにあるのは、楽しい、面白い、だけじゃない。

苦しみもある。葛藤もある。挫折もある。悲しみもある。

だけど、鳥肌が立つような、感動もある。

読んでいると、物語の外側にいるはずの私の中にも、そういう色々が次々と流れ込み、極彩色の情景が渦巻いて、一つ一つの色彩豊かな表現に、想像力が刺激されて、いつの間にか私もコンサートホールの客席に、舞台袖に、ステージの上に、あるいは4人が散歩した海辺に、居るようでした。

私はどこか「音楽は世界の言語化出来ない部分を表現している」と思っていて、だからこそ、音楽を言葉で表現することもまた不可能なのではないか、と思っていた。だけど、恩田さんはこの作品全体を通して、「音楽」を「言葉」にして、私に鮮やかな物語や風景を見せてくれました。

『蜜蜂と遠雷』は、その見た目から想像する以上の読み応えのある作品だったなぁと、読み終わった今思います。

◯ ◯ ◯

個人的なお気に入りのシーンは、下巻の第二章『第三次予選』の中で、風間塵がホームステイ先の富樫と向き合い話す場面。一瞬、永遠、再現性…の話。

この作品で一番に挙げるお気に入りの場面が演奏シーンでないのは変、というか、もしかしたら失礼だろうか。でも、とてもいい節だな、と思いながら読んでいました。

そして、読みながら何度も思ったのは、「出来ることならば、私も、音楽を、世界を、塵や亜夜のように感じながら生きたい」ということ。
この物語は、決して『選ばれし者』の物語ではなくて、世界には「天賦の才能」もあるけれども、日々の積み重ね、人と人の交わり、自分で考え・感じることの先に何があるか…という話なのかな、と。
例え塵や亜夜のような『選ばれし者』でなくても、彼らのように感じたり、表現したりすることを、笑ったり、貶したり、馬鹿にしたりは絶対にしたくない。今の日常世界では簡単なことではないと思うけれど、諦めたくはないな、と思いました。

◯ ◯ ◯

読書感想文が久しぶりになったのは、前回の『星の王子さま』について書いたときに、「人様に見せる文章ならば、"ちゃんと"しなければ!」と力みすぎ、綺麗に仕上げようと考えすぎて、正直少し疲れてしまったから。
しかも、わりと頑張って書いたつもりの感想文は後から読み返してみると、それなりに整理はされているけど、あまり面白くなかった。私が書かなくても、誰かが書いてそうな感想文だなぁと。

-もう少し肩の力を抜いて、自分らしい文章を書けるようになりたいなぁ。
今回はぼんやりとそんなことを考えながら書きました。整理も推敲も甘い気がするけれど、今回はこれが私の感想文です。

そして、「話題作」と呼ばれる作品を、周回遅れで読むのも、私の場合は当たり前。『蜜蜂と遠雷』についても例に漏れず、第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞の受賞から約3年経過してからの読了。既に映画化もされ、続編も刊行され(読みたい)、世の中には恐らく何千何万という数の読者とレビューが溢れている。
それでも、私のペースで味わいながら読めるなら、周回遅れでもいいのだ、と思う。多分これからもそんな感じで、のんびりゆったり、本を読みます。

Kei

P.S. それにしても、今回の『蜜蜂と遠雷』のような長編作品をこんな風に楽しんで読めるようになるとは。活字が苦手だった頃の私に今の姿を見せてあげたい。

この記事が参加している募集

読書感想文