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音楽雑誌の捨て時が分からない

新年を迎える前に部屋を整理し始めてみたものの、これまでに集めた音楽雑誌たちを前に、早速動きを止めることになってしまった。

私は、もうずっと、音楽雑誌の捨て時が分からずにいる。

同じ雑誌でも、ファッション誌は、ある程度の時間が経つと捨てられる。
中にはすぐに捨てる決心がつかず名残惜しくてもう一度パラパラとページを捲ってみるものもあるけれど、最終的には思いきって捨てられる。

ファッション誌というものは、実は少し時間が経ってから読んでも面白い読み物だけれど、そうは言っても「1年前のファッション誌」と言われたら、私は古いと感じてしまう。
何処か、流行り廃りのサイクルの中で生まれたもの、その時々の生活のヒントが詰まっているもの、として見てるのだと思う。

それに対して、私の本棚における音楽雑誌の占める範囲は、年々拡大の一途を辿っていて、古いものでは10年前のものまである。

ちなみに、毎号必ず買っているというわけではなく、特別好きなアーティストが表紙巻頭を飾っていたり、どうしても読みたいインタビューが載っているものに限定して購入している。

そうやって絞りに絞って買ってきたつもりだけれど、このままいくといよいよ部屋の中の他の本たちのスペースを侵略しそうなところまで来ている。
これは流石にマズイのでは…どうしよう…と、余裕のない本棚を眺めながら思ったのだ。

私が買っているのは、音楽雑誌という名の、アーティストの声や、音楽ライターという第三者の耳だ。

アーティストの創作の根底にある想いや制作秘話を読むと、曲の解釈が少し変わることもあるし、プロの音楽ライターの曲の感想を読むと、なるほどそういう聴き方もあるのかと思えることもある。
インタビューを読んだ後、それまで聴こえていなかった音が聴こえるようになることもあるから不思議だ。

ただ、アーティストやライターの声に囚われ過ぎないように、まずは自分で聴いて→読んで→聴いてという風に、聴き手として自分なりに感じて解釈することを忘れないよう注意しながら、曲を楽しむ参考書のような感覚で買っている。

それを捨てられない最大の理由は、恐らく、私が10年前に好きだったアーティストの音楽を今でも好きだから、だと思う。

一度読んだ後は日々何度も読むものではないけれど、ふとした時に開いて読み直すことがある。
数ヶ月ぶりだったり数年ぶりだったり、時期はマチマチだけど、ふと読みたくなる時が来るのだ。

ものによっては数万字にも及ぶ記事を、隅から隅まで正確に記憶しておくことは当然不可能だ。
一度手放したら二度と戻ってこない貴重な言葉たち…そう思うと、結局いつも、そっと本棚の元の位置に戻してしまう。

世の中の音楽雑誌を買っている同志の皆さんは、どうしているのだろう。
この言葉たちを、どのタイミングで手放しているだろう。

年末の大掃除シーズン。「断捨離」にはもってこいの、1年の中で一番思い切れる時期ではあるけれど。

どうだろう。
これは、私にとって要らないモノなのか。
断つべき執着なのか。

色々考えてみても、この音楽雑誌たちの捨て時だけは分からない。

今好きな音楽を好きじゃなくなったら、全てまとめて捨てられる気がするけど、今こんなにも好きな音楽を好きじゃなくなる日を想像すると、それは私にとってとても切ないことのように思う。
ただ、そういう日が来なかったら、私とこの雑誌たちはこの先一生の付き合いになるかもしれない。それはそれで、結構恐ろしい話だ。

私はもしかしたら気づかないうちに、とんでもない深い沼にどっぷり浸かってしまったのかもしれない。

Kei