誰かの代わりなら

2日前に瞳に涙がたまっても溢れないというnoteを書いたばかりなのに、今朝、職場の給湯室で涙が溢れた。

私より少し後に同じ部署に入ったお姉ちゃんみたいな人が、退職してしまう。年齢は私より7つくらい上で、一緒にご飯を食べたり、色々と隣で過ごしたし、何より、なんでも話せるお姉ちゃんみたいだった。
私が泣いたのは、今朝、部署の朝礼で正式にそれが発表された直後だった。

辞めることは本人が事前に教えてくれたけれど、限られた一部しか知らない情報だから、周りに察されないよう、忘れて振る舞うことにしていたし、どこか現実味がなくまだ先のことだと思っていた。

朝礼で発表され、それにまつわるコメントを部長がする。一気に本人に注目が集まる。しかも居なくなってしまうという未来が現実味を帯びて、しかも対面に座る本人は、いつも通りに前を向いていた。
そうやって平静を保つのも苦しいだろうな、と思った。
わたしは朝礼が終わった後、「大丈夫ですよ!私は〇〇さんと一緒にいれて嬉しかったです!」と励ましたくて、その人の手を引っ張って給湯室に行った。言いたかった言葉は出てこない代わりに、いつもは溢れない涙だけが溢れた。大丈夫だよ、と頭を撫でてくれて、逆に励まされてしまった。
本当に泣きたいのは誰だろう?と思った。

私は、もしくは人間は、プライドがあるから自分のことだと涙を我慢してしまう、平気だと言ってしまうけれど、他人のことだと、プライドなんて関係ない。私って、泣き虫なんだ、とさっき知った。
私は、涙は万感の思いであり、言葉で表せないから出てくるのものだと思っている。
言葉で言い表せないもの。
それは、すごく、特別なものだ。

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