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ひらがなも読めなくなった東大生

夢の中を漂流していた僕が、状況を理解し始めたのは、年が明けて4~5日経った頃です。

前の投稿から間が空いてしまったので、以前2記事のリンクを貼っておきます!


ようやく意識がはっきりしてきて分かったのは、なぜだか分からないけど、自分は入院しているらしい、ということ。
そして、理解できることは辛いことでした。

どうやら自分は、ひらがなすら読めない。

「あいうえお」はかろうじて分かったけれど、それ以降の愉快な仲間たちが全然わからない。
喉を切開されているから、声も出ない。
文字盤を渡されても、正しく指差すことすらできない。

でも両親は指す文字を1つずつ書き取って、解読しようとしました。そのメモが残っています。
「だばど」「じびどん」「ぞどげべ」「ぶざぶだぶ」
僕は濁点しか差せない呪いでも掛かっていたんだろうか…

両親は戦略を変えて、文字盤は諦めて読唇術で理解しようとしてくれましたが、「口だけ動かせばいい」の意味が分からずに、出ない声を出そうとしてむせたり痰が絡んだり。
その度に看護師さんが痰を吸引することになります(そしてこれが辛いから、吸引が始まると凄い顔をしていたらしいです。あれ怖い…)

読唇がうまく行かず伝わらないと、もどかしくて、僕は諦めて口を動かさなくなったりもしました。それがまた両親には「何で理解してあげられないんだろう」と辛かったそうです。

僕は自分で、さらに多くのことを失っていると気づきました。
カタカナも分からない。
数字が読めない。(これは特に難関でした)
頭が働かない。全然まとまらない。


でもそれがオカシイということだけは分かるのです。

なんでこんなことができないんだ??記憶が確かなら、自分は東大生なんだよ?

これはもう驚愕でした。何のために勉強に投資してきたんだよ!ついに卒業ってときに??

いや、そんなはずない。できないわけない。
自分が何もできなくなっていると分かってから、看護師さんに口パクで何とかお願いして、問題を出してもらって、それを動きづらいヘロヘロの右手で書く。

まずは自分の名前。お手本を見ながらひらがなカタカナ漢字で。
家族5人の名前を書く。ひらがな止まり。
自分の通ってきた学校。書けない漢字、思い出せない名前がいくつも。(そもそも東京大学という大学名が思いつかなかったり)

読みづらいですがその時のメモです。力が入らなくて字がとても薄い…

認めたくなくて、早く戻したくて。
ひらがなカタカナを練習したり、言いたいこと聞きたいことを字にしたり。すぐ体力が切れて、寝て、また書いて、を繰り返していました。

もうろうとしてたころから見せられていた病室のテレビは、気が散るから見たくありませんでした。でも操作の仕方が分からなくて、電源を切れないから、仕方なく裏向けてました。
テレビを見るのもリハビリのうちだったらしいけど、どうやら聞いているのは簡単だと分かったので、見てる場合じゃないと思ったのです。

書いたり考えたりを続けていると、少しずつ戻ってくるのですが、先が見えなくて怖かった。
いつごろ、そしてどこまで、戻るのだろう。
どうしたら早く、元どおりになれるんだろう。

それが一番知りたいことで、両親にそのことばかり聞いていました。
両親もそれが知りたくて、でもお医者さんにも予測できなかったのです
「植物状態もあり得る」と言われていた僕が、これからどうなるのかは、その頃誰にも分からなかった。
この見通しのつかなさは、この後も長く、僕を不安にさせました。


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次回は、自分が長い間寝ていたことにもようやく気づいて、焦りまくった頃の話です。

やりたかったこと、やらなきゃいけなかったことがいくらでもあったのに。自分が何者だったかはっきりしてきたからこその焦燥でした。改めて、自己紹介もできたらと思います。

引き続き読んでもらえたら嬉しいです!


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