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ネットを大海に例える人間の変遷的な欲求と選択。還るその世界で溺れる人達。

ネットは良く海に例えられる。
ネットワーク=海。イルカをイメージした。

海に例える事は、実に面白い。
人間の変遷的な部分で人間は還る欲求を今も持っている。
その中で溺れるか還るのか二択の人間に分かれる。息出来ず苦しむ人はこの海を海の前で止まり、還る人は浜辺で足を入れる。
そしてここを広大なネットワークの海を「世界」と呼ぶ。 そこに不安を抱く人がいる。
この世界に浸かり切る事に5Gの先に現実と変わらない解像度や情報転送量になる。より空間と時間は近づく。ゆっくりと人はテクノロジーに顔まで浸かって行くだろう。そういうのも全部還る流れだと思う。

この現実さえも受け止めずに命を燃やす事なく今を生きない人もいるだろう。自分を自分として生きていない人もいるだろう。
今見えている世界が全てではないかもしれないし、僕らも死後の世界からのアバターかもしれない。そんな想像を今まで人間はしてきた。
もはや仮想も現実もないのではないか。どちらも生きればいいのではないか。
スマホに夢中でもeスポーツに夢中でも目の前の事に夢中の先に俯瞰するものがあれば全ての世界を認めればいいんじゃないだろうか。

人間が何を欲しがっているのかもはや顕在化されていない。
この満たされた世界だからこそ人は還る欲求を起こす。
ネットワークの海に還りあらゆるものと繋がる。攻殻機動隊の世界はそれを自然に描いている。人がその価値観と認識まで辿り着くにはもう少し時間がかかりそうだとは思う。
人はまだ見ぬ未来に不安をなぜ覚えてしまう生き物だ。還る事に不安な人もいる。還る事を求める変遷の過渡期を迎えているような感じがする。
自分とは何か、命とは、魂とはを考えると自分の生命もまた一つではなく多様なネットワークだと体を見て振り返ると気付く。思考もそうやって分人化すれば一人の人間一つの世界は説明には少しおかしい。
自分という言葉は自らを分ける、と書く。

人は今まで自分の想像に世界を作った。
宇宙の彼方に世界を見て、
自然の偉大さに神を見て、
人の愛に可能性を見て、
死後の世界に苦しみを見て、
神を見出し世界を作らせた。

言葉の中に世界を作り、本の中に世界を作り、
絵や音楽、芸術の世界を作り、今ネットワークに世界を作ろうとしている。
そして近代は、ラジオやテレビという人間の情報発信を記録も合わせて拡張させた、情報電波装置は、プロパガンダやイデロオギーという宗教から国家という虚構の世界を作らせた。

国家という世界から独立し、情報が個人へ託される動きはインターネットは全てを多様に結ぶインタラクティブな世界をこれからも作るだろう。

広告もネットに動く流れが必然である。
人の欲求や想像の世界は個々に考え顕在化する。繋がりと共感と価値観は広くなるこれからをどうしても楽しみであるべきだと思う。

その時僕はゆっくり呼吸を教えるだろう。
人は、怖がって息を止めているだけでこの大海で溺れることはなく水を肺に入れるように呼吸を出来る事を教える。
もう一つはこの現実世界で泳いでみようと教えたい。

言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!