マインドフルネスの原点である曹洞宗の禅がてっとり早く学べる優秀すぎる映画「禅」

「禅」という映画があります。※ネタバレ注意

あらすじは、タイトルにもあるように道元が死ぬまでの物語が描かれています。具体的には、1223年に中国に留学し仏法を学び、帰国して死ぬまでになります。
マインドフルネスの原点である曹洞宗の教えを学ぶには、めちゃめちゃ手っ取り早い映画だと思います。やはり「今、ここ」に焦点が当てられているのが至るところでわかります。

一番好きなシーン

映画序盤で、幼少期道元と道元ママ(死ぬ間際)の会話があります。内容は以下。

道元ママ「世間では、念仏を唱えれば、死後浄土にいけるという教えが流行ってますが、本当に浄土にいけるのでしょうか。」

道元「私にはわかりません。ただ、死後に浄土にいってもしかたがないのではないですか」

道元ママ「私は今あなたのそばにいることができる。今この時こそ浄土なのです。」

道元「その通りです」
※私の記憶に残ってるおおよその会話です。本編とは少し会話内容は違うと思います。

というシーンがあります。この後、道元ママが「では、なぜこの世こそ浄土なのに人は争いや死の苦しみから逃れられないのでしょうか。あなたにはその方法を見つけてほしい」と話し、最終的に道元は坐禅にたどり着くわけです。

感想

なんとなく宗教とか仏教とかは、祈れば天国に行けるだとか、お経を唱えれば浄土にいける的なことをイメージしてしまいがちでしたが、道元に至ってはものすごく現実的というか超絶現実主義者だったのだろうなと思いました。

なんといってもこの鎌倉時代に日本に誕生した「坐禅」が、ここ20~30年で海外で研究されマインドフルネスという形で現代の日本に逆輸入されてきたことを考えると、エモい。エモすぎる。

あと個人的に初めて知ったのが、坐禅するときの手の形の意味でした。坐禅するときは、右の手のひらに左の手のひらを乗せ親指を軽く触れてわっかを作る(法界定印)のですが、このわっかは仏のお家なんだそう。意味もわからずに法界定印を結んでいたので、これからはちっちゃな仏がいると思って結ぼう。

まとめ

このシーンだけでも、「今、ここ」の大切さに気づかされます。
普段、私たちは生活のなかで、未来のことを心配したり、過去のことを悔やんだりしますが、一旦自分の思考を追うのをやめて「今、ここ」にとどまることをするのもいいかもしれませんね。

道元はたまたま座るという技法を編み出しましたが、後にはすべてが禅であるとも言ってます。

座るのが一番自己を見つめやすいとは思いますが、必ずしも座る必要はなく、歩いている時、ゲームをしているとき、本を読んでいるとき、サウナに入ってるとき、スポーツをしているとき、その一瞬一瞬、一息一息に注意を払うことを意識するだけでも世界はより鮮明に見えてくるのかもしれませんね。

参考

映画 「禅」2009年公開 主演 中村勘太郎

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