追い求めるものと受け入れるもの

世の中には、追い求めるべきものと受け入れるべきものがあるのではないか。

よく言われるのは、「追いかければ追いかけるほど逃げていく」みたいなこと。人に好かれようとすればするほど嫌われたり、得しようと思えば思うほど、結局損しちゃったり。八方美人や安物買いの銭失いみたいな。つまり、「人に好かれる」「儲ける」みたいなことは本質的には追い求めるべきことではないのではないかと思ったりする。

また、追い求めているわけではないけど、結果として得られる場合もある。いい仕事をすることを追求した結果として収入が増えたり。この場合は、いい仕事を追い求めることで、結果としての副産物が得られるケースだ。先ほどの例で言えば、「人に好かれる」ではなく、「人を愛する」ことを追い求めれば、結果として人に好かれるかもしれない。

本質的に大事なことは、それを追い求めることで副産物が得られる。本質的にどうでもいいことを追い求めると、求めているものは逆に得られない。どうでもいいことは受け入れるべきものであり、追い求めるものではない。「受け入れる」とは、いわば、天気のようにあるがままにすること。雨が降れば傘を差すように。雨をあるものとして受け入れる。もしくは晴れ間がないものとして受け入れる。あればあったで、それを利用すればいい。雪があればスキーをすればいい。なければないで、それを利用すればいい。雨がなければ傘を置いて外を散歩すればいい。

そういう意味で、受け入れるべきものを正しく捉えようとすると、たくさんあるんじゃなかろうか。逆に言えば、追い求めるべきものは数少ない。それが本当に大切なことであり、人生でフォーカスすべきことなんじゃないかと思う。

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