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辻潤のひびき「年譜作成に当たって」

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年譜作成に当たって
辻潤の年齢の数え方など
 辻潤は年齢を数えるのに数えと満年齢のどちらを使って居たのか。昔の人間だから当然数えだろうとは思っていたが、一九二四年に発表された「里親」に、昨年生まれた秋生が二歳だとあるから、明らかに数えを使って居るのが分る。「ひぐりでいや・ぴぐりでいや」には、来年(一九三〇(昭和五)年)で数え年四十七になる、とあって、これも証拠になる。辻潤の生まれは戸籍上は、一八八五(明治一八)年十月四日だが、実際はそれより一年早く生まれたという。それでは、辻潤自身は年齢を数える時、どちらの年を基準にしているのか。まさかお役所に届けた年を基準にはしないだろうと思えるが、やっぱり実際に生まれた年(一八八四(明治一七)年)から数えていることが分る。
 辻潤の月日の長さの数え方は、この数え年の数え方と同じ方式なようである。決してスパンを言うのではなく、その間経過した単位の数を言っている。例えば、「妄人の秋」には、二十五日大阪に着き、二十七日大阪を立ったことを、三日ばかり大阪にいたと書いている。八歳の時に伊勢の津に行き、十一歳の時に東京に戻ったことに対して、四年伊勢の津で暮らしたというのも同じ数え方である。この数え方だと、大晦日の最後の一秒にある酒場に居て、翌年の一秒後にその酒場を出たことを、二年その酒場に居たと言うことも可能である。このような場合には、そんな不自然な表現を避けるのが本当だろう。ところが、辻潤はそれに近い不自然な使い方をしているようだ。井村病院に三月末に入院し、六月初めに出たことを、四か月ばかり入っていたと書いている。実質二ヶ月と半月程度なのだろうけれど。これを、最初は、辻潤の時間感覚がおかしくなっているのかとも思ったがそうではないようだ。これが、辻潤にとっての当り前な日にちの数え方であるようだ。
 ところで、いつもいつもこの数え方をしているのかというとそうでもない。辻潤が「唯一者とその所有」を訳すために比叡山に上っていたのは、二つの年を跨っているが、比叡山に一年あまりいたと書いて、二年とは書いていない。しかし、この種の曖昧さは現在でも同じかもしれない。いちいち辻潤の使い方をチェックした訳ではないが、例外はあるが、辻潤の日にちの数え方は、数え年方式としてよいと思う。

辻潤全集年譜のこと
 この年譜も大体できあがったので、全集年譜を作成した高木護先生に見ていただこうかと思って手紙を出したら、体調不良で断って来られた。
 全集年譜の元は菅野青顔氏が直接辻潤から聞いて確かめたもので、著作の方が間違いが多いようだ、それに辻潤のまわりにいた人に確かめてでき上がったものだと書いて来られた。これは、恐れていた返事である。というのも、著作の方が間違っていて、まわりにいた人に確かめたものとするなら、著作のどこがどのように間違っていて、まわりにいた人がどのように話したのかを一々示してもらわないと、全く確かめようがないからだ。菅野青顔氏が直接辻潤から聞いたというが、それは辻潤の晩年である。著作に間違いがあるなら、辻潤の話にも間違いがあると思わなくてはならない。そして晩年の記憶と著作当時の記憶とどちらが信憑性があるかと言えば、より若い頃の記憶ということになる筈である。
 調べていくうちに、全集年譜のあちこちに、他の資料と照らして食い違う記事が出て来た。自分としては、全集年譜といえども、その項目一つ一つについて検討の余地があるものと思っている。
 あまりしつこく訊ねてもいないが、この年譜は玉川新明先生にも目を通していただいた。

辻潤関係の本
 辻潤の書いたものを読んでそれから辻潤について書かれた本を読むと内容が食い違っていたりして混乱した。昨年も年賦を作ろうとしたが、どうにも手を焼いて、『ダダイスト辻潤』を引き移してお茶を濁してしまった。
 調べてみると辻潤全集年賦といえども多々間違いや疑問点が出て来た。偉そうなことは言いたくないが、なんで自分如きものがこんなことを言わねばならないのかと思う。自分はやっと一年半前に辻潤を読み始めたのに過ぎない。
 もう少し岩崎呉夫について調べるべきだとは思うが、岩崎呉夫の『炎の女』は、辻潤に関してはデタラメだと判断する。
 三島寛『辻潤 その芸術と病理』は、どうせとりとめないので辻潤の思想も芸術もどうでもいいと思うから内容のない本のように思ったが、知らないことは知らないと書き、典拠もきちんと示してある極めて誠実な本であった。
 資料に忠実ということでは、倉橋健一『辻潤への愛 小島キヨの生涯』が、辻潤を扱った本ではピカ一だと思う。想像で書いた部分もあるのかもしれないが、根拠のない記述はしていないようだ。参考文献もきちんと挙げられている。この著者は他にどんな本を書いているのかは知らないが、別の本も読んでみたい。
 辻潤周辺の本では、小松隆二『大正自由人物語 望月桂とその周辺』が新事実も挙げてあり、学者の本だから安心して読めた。
 寺島珠雄『南天堂』も資料に忠実ないい本だ。この『南天堂』には、『辻潤への愛』と『大正自由人物語』の間違いも指摘してある。ところで、寺島珠雄氏は今年(一九九九年)七月に亡くなって時間もなかったせいで、『南天堂』には不明な点もあるというから、何だかキリもない気がしてくる。この本は辻潤が直接関わる内容は少ない。
 瀬戸内晴美の『諧調は偽りなり』は、さすが小説家だけあって文章がうまい。色々な人物が紹介されていて、まとまりがない気もするがそれを差し引いてもうれしい。今日から見ると辻潤については間違いがあるのが残念だが、辻潤を知らない人におすすめしたいと思うのが、まずこの本である。巻末の多くの参考文献は、よほどの関心とカネとヒマがなければ読めないと思わせる。
 『ニヒリスト――辻潤の思想と生涯』、『辻潤――「個」に生きる』、『ダダイスト辻潤』などは、辻潤を好きな方々が書いたものだけあって、読んで気持ちのよい本。辻潤についての殆ど必読の本だから、ここで多くを述べる必要もないと思う。
 僭越だけど、感想を書いた。
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