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辻潤書籍の月報

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『辻潤集』『辻潤著作集』『辻潤全集』付録の月報
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#辻潤

『辻潤集』月報の入力作業と覚え書き

『辻潤集』月報の入力作業と覚え書き

<関連する辻潤書籍>
1954年『辻潤集』を近代社より刊行
第一回配本 『ですぺら 辻潤集2』(1954年06月05日発行)
第ニ回配本 『浮浪漫語 辻潤集1』(1954年08月28日発行)
全三巻の予定が第三回は刊行されず

<特徴と収録内容>
・基本コンセプトは新字旧仮名(旧字も混在)
・第一回配本『ですぺら 辻潤集2』
 『ですぺら』(1924年)、『絶望の書』(1930年)を収録
 ただし

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辻潤集月報1

辻潤集月報1

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辻潤集 月報1

東京都目黒区宮前町一七四
近代社

―略歴―
明治17年10月4日 東京浅草向柳原町に生る
明治28年(12歳)神田淡路町開成尋常中学に入学同級に斎藤茂吉・村岡典嗣田辺元等あり。
明治32年(16歳)神田の國民英学会に入る。内村鑑三の著作に親しむ。
明治42年(26歳

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辻潤集月報2

辻潤集月報2

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辻潤集 月報2

東京都目黒区宮前町一七四
近代社

―略歴―
明治17年10月4日 東京浅草向柳原町に生る
明治28年(12歳)神田淡路町開成尋常中学に入学。同級に齊藤茂吉・村岡典嗣・田辺元等あり。
明治32年(16歳)神田の国民英学会に入る。内村鑑三の著作に親しむ。
明治42年(2

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『辻潤著作集』月報の入力作業と覚え書き

『辻潤著作集』月報の入力作業と覚え書き

<関連する辻潤書籍>
1969年『辻潤著作集』をオリオン出版社より刊行。
『辻潤著作集1 絶望の書』(1969年11月20日発行)
『辻潤著作集2 癡人の独語』(1970年01月20日発行)
『辻潤著作集3 浮浪漫語』(1970年03月xx日発行)
『辻潤著作集4 ですぺら・どうすればいいのか?』(1970年05月xx日発行)
『辻潤著作集5 螺旋道・ぼうふら以前』(1970年07月xx日発行)

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辻潤著作集月報1

辻潤著作集月報1

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辻潤著作集 月報1
昭和44年11月

オリオン出版社
東京都中央区銀座8丁目19番地3号・和泉ビル

とうふと辻潤
添田知道

 西小山から近かった辻潤の住み家を訪ねたことがあった。まだお母さんもゐた頃であった。そこは二階家で、あとで、<天狗になった>の伝説となる家だった。
 冷

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辻潤著作集月報2

辻潤著作集月報2

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辻潤著作集 月報2
昭和45年1月

オリオン出版社
東京都中央区銀座8丁目19番地3号・和泉ビル

辻潤追慕
高橋新吉

 「辻潤著作集」が出ることは、よろこぶべきだが、私にとっては、甚だ迷惑なことでもある。先年、「ニヒリスト」という本が、松尾邦之助編で出たときも、「当時の辻潤は

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辻潤著作集月報3

辻潤著作集月報3

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辻潤著作集 月報3
昭和45年3月

オリオン出版社
東京都中央区銀座8丁目19番地3号・和泉ビル

『ですぺら』注釈
安藤更生

「どりんく・ごうらうんと」を読むと、築地小劇場でI君なる人物に出遇い、帰りに二人であなざあ軒をやってしまい(梯子酒のこと)電車かなくなったので、銀座裏

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辻潤著作集月報4

辻潤著作集月報4

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辻潤著作集 月報4
昭和45年5月

オリオン出版社
東京都中央区銀座8丁目19番地3号・和泉ビル

辻さんが生きていたら
一瀬直行

 今度の辻潤著作集第二巻の中に「あさくさ・ふらぐまんたる」という章があり、その中で、
「自分は自分の生まれた日本のうちでも特別に東京が好きなのだ。

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辻潤著作集月報5

辻潤著作集月報5

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辻潤著作集 月報5
昭和45年7月

オリオン出版社
東京都中央区銀座8丁目19番地3号・和泉ビル

辻潤渡仏記念号
秋山清

 畠山清身・清行兄弟と和田信儀らでやっていた『悪い仲間』の第四号には「虚無思想改題・文明批評併合」の文字がはいっている。そしてその次号の『悪い仲間』(昭和

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辻潤著作集月報6

辻潤著作集月報6

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辻潤著作集 月報6
昭和45年10月

オリオン出版社
東京都中央区銀座8丁目19番地3号・和泉ビル

辻さんと私
花園宥運

 大戦末期の昭和十九年十一月廿四日、辻さんが下落合の下宿屋で誰にも相手にされず全くの世捨人として、虱に食われて世を去ってからすでに廿有余年、あれだけ著名だ

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『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き

『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き

<関連する辻潤書籍>
1982年『辻潤全集』を五月書房より刊行。月報は各巻の付録。
『辻潤全集第1巻』著作1 浮浪漫語他 (1982年04月15日発行)
『辻潤全集第2巻』著作2 絶望の書他 (1982年06月15日発行)
『辻潤全集第3巻』著作3 癡人の独語他 (1982年08月15日発行)
『辻潤全集第4巻』著作4 脱線語 勉めよ春夫!他(1982年10月10日発行)
『辻潤全集第5巻』翻訳1

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辻潤全集月報1

辻潤全集月報1

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辻潤全集第1巻
月報1 1982年4月

東京都千代田区猿楽町2-6-5
五月書房

思い出(一)
松尾季子

 彼は戦争と云う暴風の中で一夜のうちに人知れずこの世から消え去ってしまいました。
 人生と云う行路の行きずりに私がふと眺めた池の汚泥の中に、一本の蓮華が咲いて居ました。数年

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辻潤全集月報2

辻潤全集月報2

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辻潤全集第5巻
月報2 1982年5月

五月書房

思い出(二)
松尾季子

 人間が飢えた時まず犠牲にされるのは血族以外の者であって、それまでどんなに忠実であったろうと血族でない者がまず犠牲にされたそうで、一つの血が存続するために異質の血が犠牲に供せられる、これは現世の掟なのでご

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辻潤全集月報3

辻潤全集月報3

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辻潤全集第2巻
月報3 1982年6月

五月書房

思い出(三)
松尾季子

 寝相といえば一番美しいのはお釈迦様の死を表現した涅槃像でございますね。北枕にして軽く西に向かって右手を枕に、左手は胴にそって自然にのばし、両足はゆっくりのばしておられます。少し西向きなのは心臓が身体の圧

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