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夕陽をみる時間

家で過ごす休みの日、楽しみにしていることのひとつに『夕陽』がある。
15時を過ぎると少しソワソワし出して、やりかけている家事の段取りを考えはじめ、16時には家を出るスタンバイをする。空の様子をうかがいながら自転車で夕陽が見える場所までひとっ走りする。

その場所はちょっと標高が高いところにあるので、少し息を荒げながらせわしない感じで目的地にたどり着く。その間に空がだんだんと暗くなって、太陽が落ちる直前は空が赤く染まって街に淡く赤い光が注ぎ込む。色んなところをきょろきょろ見ながら、ただひたすらに移り変わる空や街の様子を眺める。

最近、こんな時間をもてていただろうか。

夕陽を見る時間は、なんにも考えない。ただゆっくり落ちていくのを見て「今日も1日が終わったな...」と感じるだけなんだけど、その気持ちにゆっくりと浸る時間。そこに夕陽のきれいさが重なって、あたたかいものがお腹の方からこみ上げてきて涙が出たことがあった。この感情をどう言ったらいいものかわからないけど、とにかく私は夕陽を見て泣くとは思わなかった。何か特別に悲しいことや嬉しいことがあったわけじゃない。でも、勝手に涙が出てしまった。

その理由をあえて言葉にしてみると「ありがとうございます」、だ。
ただ、ここに立ってこの景色を見れている自分や、見せてくれる世界にありがとう。私のように、今までこの場所で夕陽を見た人もきっと同じ気持ちになったのだろう。その人たちの真っすぐな思いが、時間を超えて私の中で重なったような気もしている。

昔の人は、この夕陽をみて物思いにふけながらボーっとしたり和歌を詠んだりしたのだろう。毎日毎日、微妙に違う空の様子を感じながら。

その時間って尊い時間だなと思う。太陽が昇って、落ちる。くり返し起こるその自然の流れに心を向けることがこんなにも豊かにしてくれるなんて。ありがとうと自然に思えるようになったのも、「今」をちゃんと生きている証なんだろうな。

「丁寧に生きる」ことって、こういう時間をもつことなんじゃないかと思う。特別に見栄えするなにかがなくても、自分の中で「あ、いま心地いい時間が流れているな」と感じることが1日の中に少しでもあればそれで充分満足だし、こういう時間をちょっとずつ、これから増やしていきたいなぁと思う。

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