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あるバイトの思い出

今振り返るとちょっと辛くなるアルバイトの記憶。

子どもがまだ幼稚園か小学校低学年の頃、在宅で出来る仕事を探していて、新聞広告を見て応募した小論文の添削。
予め提出した短い作文と、会場での筆記テスト(ほぼ漢字)だけで、合格が決まった。
合格者は驚くほど大勢いて、本社の大会議室に集められ、研修を受けた。

あの頃は(今でも?)共通テストと小論文だけで合格出来る学校も多かった。
学校単位で応募してくるので、膨大な答案が返ってくる。
そのため、添削する人が常に不足していたのだと思う。
猫の手も借りたいというのが会社側の本音だったようだ。

わたしは、教員免状は持っていたが、社会科なので、文法的なことなどは未だに苦手意識がある。
小論文のテーマは多岐にわたっていて、文章の巧拙は問わない。
論理的な文章が書けていればそれでよい。
様々な資料を読み取り、そこから導き出されることを論じるような問題も多かった。

自分自身がほとんど小論文など書いたことがないのだから、相手が学生とはいえ、添削するなんておこがましい。
卒業論文はたしかに提出したけれど、今でいうコピペのツギハギのようなお粗末な代物だった。
小◯方さんの騒動以来、そんな論文は通用しなくなっているのだろうか。

わたしの頃は原稿用紙に万年筆で手書きし、提出するときは製本屋さんに製本してもらっていた。
インターネットもなかったから、関連する本を探して読み漁り、それなりに手間はかかった。

とにかく、論文らしい論文はあまり書いたことがなく、小論文にも馴染がなかった。

いざ仕事を始めてみると、どこをどう添削してよいのやら、考えれば考えるほど、迷路に迷い込み、ノイローゼになりそうだった。

だから、あまり内容の深い部分には触れず、マニュアル通りに、
「指定の字数の8割以上は書きましょう」とか
「テーマを多角的に掘り下げましょう」とか 
「起承転結を意識して書きましょう」とか
「口語的表現は避けましょう」とか
「常体と敬体が混在しないようにしましょう」とか
なるべく決まり切ったことを書いて乗り切っていた。

口語的表現はダメというのは、例えば
ものすごく✕
非常に◯

だから✕
したがって◯

でも✕
しかし◯

いろんな✕
いろいろな◯
さまざまな◯

びっくりした✕
驚いた◯
などである。

このアルバイトは2年ぐらいで辞めてしまった。
1枚いくらの賃仕事だった。

自分の実力のなさに嫌気が差し、赤ペンで書く自分の字の汚さにも呆れ果てた。

東北地方の学校には、佐々木さん、小野寺さん、千葉さんなどの苗字が多いとか、沖縄県は比嘉さんや玉城さんが多く、珍しいところでは、喜屋武(きゃん)さん、渡慶次(とけいじ)さんなどがいる。
そんな面白い気付きもあった。

毎日noteを書いていて、あのとき赤ペンでよく書いていた、「主張したいことを過不足なく書きましょう」という文言を思い出す。