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『習慣化の極意』ではない 習慣化指南

年が明けて半月が経ち、例年であれば「新年の抱負」を忘れかけている時期になった。
でも今年は違う、今までの私とは。だって、、、

「新年の抱負」らしいものをあまり考えなかったんだもの。

正月に「今年の目標」を箇条書きにしたところで、達成できたことなんてなかった。ならばいっそ正月も普段通り、いや普段以上にダラダラと過ごし、逆に普段のダラダラを少し改善して、日常的にきちんと「目標管理」ができる方が良いのでは。2022年最後の週にそう思い、2023年を迎えた正月は「意識的に」目標を立てることをやめた。(←変な人)

何をしても、1日は終わる

先週から夫の出勤、娘の通学が始まり、日常が戻ってきた。
ここからがいわゆる「自分との戦い」の始まりだ。在宅フリーランスの私は、最低限の家事と受託済みのクライアントワークをこなせば、あとは1日何をするのも自由。
昼寝をしようが、YouTubeを見ようが、オンライン学習をしようが、ジョギングをしようが、どれを選んでもあっという間に1日は、終わる。

が、「進化するオバちゃん」でありたいと願う私。人並み以上の向上心と、人間離れしたナマケモノ度合いの狭間で毎日葛藤している。

習慣化するにはどうすれば良いか

習慣化や目標達成術の方法について書かれた本や、その道のプロの人はゴマンといる。私はその対極にいる人だし、人生において何ひとつ達成してることがないので「こうすれば習慣化できるようになります!」と言うつもりはまったくない。(なので、それを期待している人はここで読むのをやめて、「プロ」の記事を読むのが良いと思います。)

とはいえ、「進化したいナマケモノおばちゃん」は今まで幾多の「習慣化の失敗」を重ねてきた。それを書き残しておくのも良いかと思い、去年noteでどのように発信してきたか、どの程度「noteを書く」ことが習慣化したのかを振り返り、今後について考えようと思う。

2022年 note投稿の記録

2022年、noteに投稿した日は、カレンダーに赤丸を打ってきた。お恥ずかしながらそれを公開する。

2022年 note投稿の記録

赤丸が毎日キレイに並んでいる時期は、今振り返っても「おいおい、どうしたんだ」と思うくらい、なぜか「意識が高い」ナマケモノだった。少し続くと勢いがつくのか、はたまた、いわゆる「やらないと気持ち悪い」ゾーンに入るのか。「せっかく続いてるんだから」という意識が働くのか、4〜6月は投稿は続いた。

それが7月後半以降、ピタッと止まる。まず、娘の夏休みや家族旅行、その他諸々で生活のペースが狂う。さらにぎっくり腰をやらかしたり、流行病になったり、メンタルやられたり。あとは、学びのコミュニティに参加したことで他に取り組むべきことができたり、2022年最後の方はありがたいことに仕事に追われたりした。

と、noteの投稿ボタンをポチした後に赤丸をつけ続けて分かったことは

  • 可視化することで、振り返りができるようになる

  • 「出来ている」自分を分析できる

  • 「出来なかった」原因を考えるきっかけになる

毎日続けて投稿できるからスゴい、とは思っていないので、「出来る vs 出来ない」という表現も違うような気もするけれど、2軸にするとそれしかないので仕方ない。

習慣化においては「可視化」が有効なのかな、と思う。

「時間」を決めて取り組む

私はnoteは朝一番に書くと決めている。「一人朝礼」みたいなものだ。
書いた日は、その後の1日の過ごし方が順調なことが多い。頭が動き出すからなのか、1記事書いて赤丸つけて小さな「達成感」を感じることで「作業興奮」が生まれるのか。その後無駄に昼寝をしたり、YouTube見まくったり、ということが少ない。(←「無い」ではない。汗)

業務委託の仕事がある日は強制的にそちらに時間と頭を使うので、noteは書かない、というか書けない。なので、noteを書くのは「強制的に優先的にやることが無い日に、朝イチ自分にスイッチを入れて、生産的な1日を過ごすための儀式」みたいなところがある。

ある作業をする「時間」を決めて、その作業をすることでその日の過ごし方をより気持ちいいものにする。ひとりで仕事をしていこうと決めた去年、なんとなく出来上がってきた方法だ。

「早起き」や「運動」といった「時間指定」が有効なその他の習慣はまだまだできていないけど、ちょっとずつできればと思う。

「出来てなくても、ええやん」と考える

あと、「習慣化」で一番大事なことは「出来ない自分を責めない」ことだと思う。「note続いてた時期もあったのに、やめちゃった」と自分を責めるような人であれば、上記のスカスカ赤丸カレンダーを公開することはない。出来ないときには理由があるし、続けることだけがスゴいことではないと思っているので、臆することなくさらけ出すことができる。オバちゃんの「ツラの皮の厚さ」が本領発揮するところだ。

やめたのには何かしらの理由があるし、やりたくなればまた始めればいい。それくらいの軽い気持ちの方が結果的に続くこともある。習慣化できないから人生終わり、なんてことは絶対ない。

肩の力を入れずに、何かできたら「スゴいぜ、自分!」と調子に乗り、できなくても「まぁ、ええやん!」と自分を励まし、自分で自分の機嫌を取っていけたらそれでいい。

1月半ば。早くも「あ〜、今年の目標、三日坊主でやめちゃった」と嘆く人がいるかもしれない。「習慣化、できれば良いけど、ほどほどに」と、誰かに言ってみたくなったので書いてみた。私自身もストレスにならない程度に「機嫌良くなれる」ことを楽しみながら続けていこうと思う。

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