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日常に、意識的に非日常を

昨日はお茶会に招かれました。

叔母が長年茶道を続けていて、私も少しだけ習っていた時期がありました。
ご時世で3年ぶりのお茶会、とのことで、母と一緒に京都へ。

お茶室から見える景色。風流です。

紅く色づきかけたお庭。ひとつ一つ吟味されたお茶道具としつらえ。美味しいお菓子とお抹茶をいただき、ひととき、日常から離れた空間を楽しむことが出来ました。

思い返せば数年間、行動範囲は狭まり、人間関係も限定され、好きな時に好きな場所へ好きな人と行く機会が少なくなっていました。毎日の生活を淡々とくるくると回す、それ自体は悪いことではありません。ですが、どうしても「滞り」を感じることも。

ほんの数時間、日常から離れ、一杯のお茶を介して季節の移ろいや無事過ごせていることのありがたさを感じる。それが何と素晴らしいことか。

最近は少しずつ、滞っていたものが流れ出すような空気感を感じるようになりました。私もここへきて、ずっと根っこを張っていたような状態から、何かに押されて流されて動き出しているような気がしています。

「じっと同じところにいた」ということは、動いてみてはじめて気が付くことなのかも。いつもと違う景色を、一期一会の方々と座をご一緒させていただいて、そう感じました。

日常に、意識的に非日常の機会を作ることで気付くことが色々ある。非日常の機会をもつことの重要性を感じさせてくれたお茶会でした。

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