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そこにチームがあるならば

以下、自分の勝手な思いではあるが、しばしおつきあい願えれば。以下の意見に賛同しようとされまいと、皆さんの考え方次第だ、ということをお断りしておきたい。

東京武蔵野シティフットボールクラブが、東京武蔵野ユナイテッドフットボールクラブになった・・・という冗談みたいな事態になったようだ。まあ、確かに「シティ」を名乗っていたチームが「ユナイテッド」に変更するのも、節操がないなあとは思うけど、自分は別にそんなもの、どうってことはないと思っている。

デッツォーラ島根EC。
ヴォラドール松江。

島根県にはかつてこういう名前のチームが存在した。どちらも強かったし、相応に面白いチームだった。

このうち、2010年までトップチームが存在したヴォラドール松江はまだいい。現在もチーム自体は残っている。今で言うところの松江シティフットボールクラブ(JFL)だ。
ただ、創設年度を2011年としているような彼らの歴史の中では顧みられることがほとんどないというだけで。ヴォラドール松江や、その前身である松江RM友の会は、つまり、松江シティフットボールクラブのクラブ史の中に於いては、ともに前身としてはおろか、傍流としても認知されていないのである。
松江シティの試合を観に行ったって、中国リーグに昇格するまでのヴォラドール松江のことを話せる人を、自分はまるで知らない。今、そういう人はサポーターはおろか(絶無とは言わないが少数派だろう)、クラブ内にすらほとんどいないのではないか。
だから自分は、「自分は松江シティではなく、ヴォラドール松江は好きですよ」というスタンスでいる。
だがまあ、それは個人の勝手な思いなので、正直、サポートしたいと思う人たちはすれば良いと思う。自分はしません、というだけだ。

まだクラブ史に名称が出てこずとも、名称や運営形態が変遷しつつチームそのものは現在に於いても残存しているだけ幸せなヴォラドール松江に比べると、昨シーズンでトップチームの活動を終え、U-12チームへと活動形態を転換したデッツォーラ島根ECの事例などは、何とも言い様がない。
長年、あのチームを観てきて、代表だった故・若三康弘さんに顔を覚えられるぐらいには親しくしていただいた自分だが、トップチームの活動が立ち行かなくなって、活動休止や停止をしてしまうのは、何ともはや切ないし、わびしい。
自分は若三さんのことを勝手に兄貴分だと思っていたし、傍迷惑なおっさんではあったが、どういうわけか憎めない人なので、彼のチームにも長らくシンパシーを抱き続けてきた。
ただ、その若三さんが2017年に身罷ってしまわれてから、運営面がいろいろと苦しくなってしまったのは事実だろうと思う。断片的には内情も聞いたが、自分には何もできない。
2020年、再度中国リーグへと昇格したものの、COVID-19が猛威を振るい、結果、中国リーグが全面的に中止となってしまい、その代替大会として行われたCSLチャンピオンシップへのエントリーを見送ったことを知り、自分はある程度の覚悟をした。
そして、チームは活動を停止した。悲しかったが、諦めるより他になかった。

こんな切なく、わびしい思いをすることに比べたら、名称や活動形態、存立基盤に変化が生じようともチームが存続することは、何と幸せなことか、と思ってしまう。
もちろん、それを応援するのもしないのも皆さんの自由だ。

東京武蔵野ユナイテッドフットボールクラブというチームの話に戻るが、改名しようと何だろうとチームがこの先も存続するから、文句が言えたりもする。
これが、ある日突然、このチームがまったく活動をしなくなったりしたら、文句を言うことすらできなくなってしまう。
名前がどうしただの何だの言えるってことは、それだけ幸せなことなんだと思うべきだ。だって、そんな文句を言える拠り所が、少なくともあなたたちにはあるのだから。それすらもなくしたこちらの立場からすれば、皆さんは恵まれている、とは思う。

そんなチームにシンパシーを抱いてしまった我が身の不幸、と言われたらそれまでだし、何ら反論のしようがないのだが・・・

チームが明日もあって、活動を続けていられる

・・・ということは、どれだけ容易なことでなく、且つ大切なことかを、この際だからよく考え直していただけたら良いと思っている。チームが存続し続けるって、我々の想像以上に難しいことなんだと思う。

かつて横浜フリューゲルスの時に、チームがなくなるというのは、自分が拠って立つものを失うのに等しく、それ故にどうにも切ないことで、二度と経験したくないことだと思ったことがあったが、確かにJリーグのクラブで破綻したところはないだろう。その意味ではJリーグはひとまず成功していると言える。
しかし、いわゆる、街クラブにはそういうところが残念ながらある。無論、数多くの存続のための努力をしても、それが叶わないとなれば、その活動に終止符を打つしかなくなってしまう。それをしたくないから、武蔵野の場合、東京ユナイテッドと、それこそユナイテッドしてしまったのであろう。

エンブレムや名称の変更は苦渋の選択だったのかもしれない。ただ、その選択をせざるを得ない事情は酌むべきかなあ、と思う。変更の結果に文句を言うのは仕方がないにしても。

・・・外野からは、そんなことを今回の騒動からは感じてしまう。まあ、これらとて、所詮外野の勝手な思いに過ぎず、内部の人間でないこちらからすれば、所詮想像の域を出ないのだけれども。
 自分らは彼らと直接の利害関係が発生しない部外者たればこそ、そのように、ドライになるしかないのが現実だ、としか言い様がない。

ただ、新チームになろうとも、彼らはサッカーチームとして存続する。そこは確かだろう。その後、どうなるかまでは予想できないまでも、当座は続いていく。
だとしたら、先ずはそのことを喜んでおこうではないか。自分はこの一連の騒動を、そんな心境で考えるようにしている。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。