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自分の性格

以下、自分の性格についてお話しする。あまり実にならない話なので、せいぜい読んで「あの馬鹿、そういう性格なのか」とお思いくださればいい。

好きになったものは長続きする方

先ずはこれ。ガイナーレ鳥取、湘南ベルマーレ、デッツォーラ島根、ローリング・ストーンズ、オフコース、へヴィン17、スクリッティ・ポリッティ、ハナ肇とクレージーキャッツ、中村梅之助の遠山の金さん、スポーツとしての競馬、笑芸人としてビートたけし・・・。
これらはみんな自分の好きなものだが、それなりに長続きしている。無論、これらの全てを盲目的に好きなわけではなく、それぞれにダメだなあって思う点もあるけど、それらも含めて彼らのことは好き。
何故?って理由を訊かれても困る。好きなものは好きだから。

好きでないものは、いちいち列挙しないが、もちろんある。あるが、それらが存在するのも認めない、というほど頑なではないつもり。
例えば、プリンスだって昔は蛇蝎の如く嫌っていたが、今はむしろ好きなぐらいであるので、時代によって変化する好みというのもあるんだろう。

冗談は言うのも言われるのも苦手

自分はよく「シャレのわかんない人」みたいに言われることがある。冗談って、言うのも言われるのも苦手だ。

冗談を言うという点については、自分には冗談を言うセンスがないとでも言うべきか。
言う方も苦手だし、言われる方もセンスが鈍いので、なかなか苦手だ。頭が固いのかもしれない。想像力が足りないというか、柔軟性がないのかもしれない。

口の悪い人も、あまり得意ではない。言われたことを真面目に受け取ってしまう性分なので、口の悪い人の冗談は兎角真に受けてしまう。

どうやら自分という人間は、変にセンシティブにできているものらしい。

うちの母親は口が悪い人で、たまに(本人は軽い冗談のつもりで)キツいことを言うので、揉めることがある。2人暮らしなので、そこら辺はお互いに譲歩し合っているつもりだし、母親の出身地や育った環境などから来る性分も十二分に理解しているが、それでも時々揉めてしまう。
でも、自分としてはなるべく折れるようにしている。親子だし、それ以前にもうお互いにいい歳でもあるし、つまらないことで揉めても、お互いに良いことがないのだから。

真に受ける、そして嫌いな言葉

冗談が苦手なのにも関係するけど、何でも真に受けてしまう。からかい半分で言われたことなんかを、ついつい真に受けてしまう。そして、その結果として、無駄に落ち込んでしまうのだ。

性格の問題に帰結するのだけど、こういう性格であるため、わりと損をしやすい面がある。
どういうと適切なのか。たぶん他人からは予期されないような些細な一言を気にしてしまう、というのか。

自分が脳梗塞からのリハビリの段階で感じたことの1つでもあるけど、何気なく言われる「(間投詞のような)頑張れ」がとても嫌だった。
そんなことはあなたに言われなくても自分なりに頑張っているし、自分でここまでできたら良いなって見込みらしきものをある程度立てているのに、そこに頑張れとか言われてもね、と思ってしまう。「余計なお世話」となるのがオチ(無論、実際にそんなことを言うわけはない)だ。

見舞いに来た人のはまだいい。嫌だけど、別に悪意を持ってそれを言わないに決まっている(いや、基本的には誰も悪意を持ってない)から、そこはこらえる(でも、母親とは一度それで揉めたことがあるが、まあ、その時だけの話だから)。

問題は、療法士にそれを言われた時だ。療法士は、リハビリをする上で指針を立てたりするのだから、わからないでもない。だが、二度目の入院の時はさすがに我慢ならなかった。

元々その際の療法士とは、コミュニケーションが足りていないと感じることがとても多かった。

リハビリのメニューはこういう効果を狙ってやりますよ、という感じの説明や、それを負担に思う時、代替策はあるのか、という辺りが全くオミットされていたように思った。
つまり、理学療法士や作業療法士は、自分ともう少しコミュニケートしてくれたら良いのに、そこら辺を全然してくれなかった。
この時は、最初の言語聴覚士が休みが多くリハビリの進捗度合に不安を感じる、という理由で二代目氏に途中交代しているが、これは双方納得ずくの話だし、蟠りは全く無かった。
三代目氏も登場したが、これは二代目氏の職務上の都合なので、別にそれは気にしていないし、二代目氏や三代目氏はちゃんとコミュニケートしてくださったので、彼ら言語聴覚士たちへの不満は一切無い。
この時は理学療法士・作業療法士との相性がすこぶる悪かった。説明不足がずっとつきまとっていたからだ。
入院のごく終盤期になってようやく改善されたが、退院数日前にそんなもの改善されてもね、と思ってしまった。

どう言うのかな。療法士は療法士で、自分のプログラムってものがあると思うし、それに則ってリハビリを進めたいのはわかる。それはいいけど、そのためには患者としての自分と話をしようってことなのだけどね。
だってそのリハビリを受けるのは自分なんだから、自分がその内容や効果について知っておきたいのは当然じゃない。療法士がリハビリを受けるわけじゃないのに。
リハビリをするのは社会復帰のためには当然だけど、自分としてはこれぐらいまではできるようになりたい、ここまでは達成したいって目論見がある。でも、その時の療法士(特に作業療法士の方だと思うけど)は、その辺りについて、キチンとコミュニケートしてくれなかったような印象があった。

で、メニューについて作業療法士に尋ねたら、負荷量に対する不満を唱えている、と受け取られてしまい、外見がおっとりした印象のある作業療法士だったが、その人物から恩着せがましく言われたばかりか、「あなたはマイナス思考が過ぎる」みたいなことを明確に断言までされて、あれはメッチャ傷ついた。

どうせ3度目以降にもこの病院の世話にならざるを得ないんだろうが、その作業療法士とは2度と組みたくない。その時の理学療法士氏もあまり好きではなかったが、作業療法士氏に比べたら、ずっとマシだった。

結構面倒くさいおっさん

Twitterのプロフィールにも書いてるように、自分はそれなりに面倒くさいおっさんだという自覚がある。

屁理屈とかそれなりに言うし、他者に譲歩はする方かもしれないけど、そのわりには我の強い面もあるような気がする。
でも、議論とかそういうのは嫌い。面倒だもの。そういう場合に、ほら、理論武装みたいなことしなきゃいけないじゃない。そういうの類のことなんかも、自分はとても苦手だしね。

自分は馬鹿だ、阿呆だ、っつってる方が、気が楽なんだな。自覚的にそう思ってる方が楽なのよ。だから、深い議論とか嫌い。
自分はあくまでも、軽くカル~く生きたい。自分が面倒くさいヤツのくせして、面倒くさいことは嫌いって標榜してるんだから、世話がないというか。

ま、とりあえず、自分みたいな性格の人間は、器用に生きられないだろうなって思ってる。
でも、それって結局は自業自得の面が強いから。他の誰も悪いわけじゃなくて、50年生きてきた自分の人生の蓄積でしかない。
そう思って諦めるより他ないんだろうなって、最近では意識的に思うようにしている。なるようにしかならないよ、とも。
だって、こういう人生を選んだのは他ならぬ自分だからね。他の人のせいになんてできるわけがないもの。
だから、自分の人生を前にジタバタすんのだけは止めとこうって、最近では自分に言い聞かせている。

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