見出し画像

自分は長年ユル~くサッカーを見てきた

2020年については、未だにその機会を得られてはいないが、少なくとも1993年からこの方、何らかのサッカーの試合をライブで見てきた。テレビではそれ以前から時々観ているが、ライブではその年からだ。

今更サッカー観戦小史

写真も何もないが、その年に島根県立浜山公園陸上競技場であったサンフレッチェ広島とインデペンディエンテ(アルゼンチン)とのプレシーズンマッチが最初だった。確か、インデペンディエンテが勝ったような気がしたが、もう内容も何もかも覚えていない。大昔の話だしね。

やがて鳥取にバードスタジアムができると、そこで行われた試合を時々観に行った。

最初は確かこのカードのはずだ。実はこの頃からベルマーレ平塚は好きだったのだ。今、湘南ベルマーレという名前になっているが、それでも愛好している。今年は(七夕の特別版だが)ユニフォームも買った。

画像1

その後1試合を挟んでこれを見ているはず。

画像2

ストイコヴィッチなんて人が鳥取の片田舎でプレーするなんて、と思った。

これも見ている。この時からゴール裏(この時はジェフ側で見ていた)にちょくちょくお邪魔するようになった。この時のジェフサポさんはとても印象が良かった。ジェフが乱戦を制した面白い試合だった。

画像3

これはJリーグの話だが、天皇杯も見てもいる。

最初は95年のヴェルディ川崎vs筑波大学。その時の筑波大学には錚々たるメンバーがいた(思いつくだけでも望月重良、西ヶ谷隆之、上野優作などがいたはずだ。大岩剛や大槻毅の印象がないので、彼らの世代ではないはず)ような気がするが、ヴェルディ川崎には歯が立たなかった。

サッカーにどんどん没入していくようになり、鳥取にも何度となく通うようになった。当時の非常に悪い道路事情を考えると、よくもまあ、と思うのだけど、まだいろいろな意味で無理のできた時代だった。

そのうち、SC鳥取(後のガイナーレ鳥取)に出会い、然る後にFCセントラル中国(後のデッツォーラ島根EC)にも出会っている。この両者に出会ったことで自分のサッカーライフは大きく変貌していった。

詳しくは過去記事のこの辺で見ていただきたいのだが、いろんな意味で長年の朋友みたいなチームと出会うことになった。これはデカい。技術的なことはよく知らんけど、人にも惚れたし、サッカーをプレーするアティテュードにも惚れた。

その後、彼らを中心にいろいろなチームや試合を見てきたが、中にはガッカリさせられる試合もあったが、多くの場合は楽しめた。

サッカー観はないに等しい

noteに投稿している記事を見ていただくとわかるが・・・

音楽ネタなどもそこそこあるにはあるのだが、やはり断然サッカーネタが突出した感じで多い。
しかし、だ。その多くは毒にも薬にもならないものばかり。挙げ句、書き手の自分自身が至って知識や見識と無縁な、浅学非才も良いところの人間なので、化けの皮なんてあっさり剥がれちまう。だから、自分に知識とか教養などに裏付けられた何かを求めようとするのはあまりにも無謀だし、自分自身もオーバーヒートしてしまう。

長年サッカーを見てきておいて、今更それを言うか、と言われると面目ないのだが、自分には「『サッカー観』と称するものがない」のだ。サッカーというもの(に限らずだが)に定見がないとも言える。
そんなおっさんが勝手にサッカーをネタにホンキートンクなお話を繰り広げているだけの話。それが自分のサッカーについての文章という勿体つけたものの正体だ。

そんなものでも良いから読みたいという人が読んでくだされば良い。書きたいからほぼ無目的に書いてるようなものなんだし、それでカネ取れとかあまり思わない。むしろ、おカネ取っちゃ失礼だとさえ思う。だから多くは木戸銭すら取らない。

サッカーを経験はしているよ。遊びの延長程度には、だけど。小学校のクラブ活動なんてそんなものだろう。中学校から上のクラブ活動を経験していたら、また違ったかもしれないが、地域にそういうものもなかったし、そもそも自分にも才能が無かった。

もし中学校にサッカー部みたいなのがあったら、あるいは入っていたかもしれないね。まあ、中学の部活動で遊びの延長から本格化する間にドロップアウトしてしまったんじゃないかとは思っているが。

自分の周囲には野球の好きなのが多かったし、別にそれはそれで良いけど、自分はサッカーの方が何か性に合っていた。それだけだ。野球も嫌いではないし、昔ほど積極的に見なくなっただけで、野球の試合を見ることぐらいは嫌いではない。ま、それはともかく。

ともかく、サッカーについての地盤を作れなかったが、それならそれで逆にトーシローでええやん、と思うようにもなった。特に観戦者・応援者の立場になってからは。

何も知らないことは悪いことか

サッカーに限らず、何かを見ようとする際にそのように訊かれれば、そりゃまあ「あまり良くはない」だろう。ともあれ、良いと言う意味合いのことを答える人は少ないと思う。

自分みたいな駄文書きはともかく、世の中にはサッカーについての文章を書く人は多い。皆一様に洗練されているし、豊富な知識やそれらを背景にした論述展開も、自分なんぞの及ぶところではないような人たちばかりだ。

例えば、戦術解説系の文章を書く人が増えてきた。文章を書くという形に至らないまでも、Twitterなどで、そうした知識見識に裏打ちされたツイートを連発する人もいる。
そういう戦術分析や解析系の文章やツイートを書く人たちは最先端の戦術研究をしているだろうし、そこまで行かなくても知識としてそうしたことを知っている人たちばかりだろう。
それらは、なるほど観戦時の楽しみ方を豊かなものにしてくれるはずだ。彼らも実際楽しんでいるのだろう。

もちろん、知らないよりは知っていた方が楽しいだろうし、見方もレンジが広がって良いだろう。

だが、敢えてそうしたものとは距離を置き、自分の見方で何となく見てるだけでもええやん、と思うようにもなってきた。

基本だけはキチンと知っておき、あとはそれに肉づけして学ぶところについては、人々の自由裁量に任せておけば良い。学びも気づきも多ければ多いに越したことはないが、だからと言ってのべつ幕無しにそれらがあっても、自分の中に取り込めなければ意味は薄いだろう。

そう考えると、何も知らないからと言って、決して卑下することもないだろうとは思うし、「知らねえよ」と開き直って威張るよりも「知らないんですよ」と言える方がむしろ正直ではないかとさえ思う。

今後の自分とサッカーのつきあい方を考えてみる

できるだけユルく、やたらにリキを入れることなく、漠然とサッカーに関わりたい、と最近は思っている。
どっかの監督になった体育会系芸能人みたいなパッションを一杯振りまいて「サッカーは自分の生涯の友達!」(その人物はそんなことは一言も口にしていないが)みたいな感じではっちゃけるよりも、もっとカジュアルに気楽な感じでサッカーとつきあいたい。何たって自分は自分だもの。他人様から押しつけられることなんてない。

今の御時世が幾分落ち着いて、以前みたいに気兼ねなくサッカー(フットサルなどにしてもだが)観戦が可能になった時(今でも物理的には十分すぎるぐらいできるけど、自分にはいろいろと制約もあるので・・・)には、心おきなくスタジアムに足を運んで、贔屓のチームを写真に撮ったりしながら、目を細めたりできたら良いな。

自分はね、在野のトーシローで良いの。面倒くせえことは、それをしたい人たちに任せちまえば良い。そうした人たちがメインストリームに躍り出て贔屓のチームを語れば、それらのチームへの気づきや学びが更に充実するに違いない。

そこ行くと自分なんざ、たまたまガイナーレ鳥取やデッツォーラ島根なんてチームを長年見てきてるけど、単に長いこと見てるってだけで、何にも偉かぁない。
自分よりもチームに対するパッションや情熱、理論付けなどに秀でた人はたくさんいるんだし、そういう人たちが主役を張ったら良い。自分は野原の石ころ程度でいいやって思っている。

感受性は人によりけり、なんだもの。だから、自分も自分らしくサッカーと関わっていこうか、と思っている。


この記事が参加している募集

習慣にしていること

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。