見出し画像

近場の人間だって出雲大社にぐらい行きますよ

本来だったら、今日(2019年7月7日)は中国女子サッカーリーグのディオッサ出雲FC対吉備国際大学Charme岡山高梁defiの試合を観に行ってる・・・はずだった。
(ちなみに試合そのものは12-0でディオッサ出雲が圧勝したそうだ)

だが、ちょっと個人的にはサッカー絡みでハートブレイキーな事象があり、意図的に少しサッカーと離れた週末など送ってみたいな、と考えるようになった。

サッカーが嫌いになったり面倒くさくなったりしたわけではない。少しだけ距離を置いてみたくなっただけ。来週はまたサッカー観に行くし、ちょっと今週はサッカー以外のことで時間を使いたくなっただけ。

で、何処に行こうかと思案した結果・・・

近すぎて何ら新鮮味がない、と言いたくなるところだが、それでも行ってみようと思うのであった。

皆さんご存知のように出雲大社には縁結びの神様がいらっしゃる、ということになっている。しかし、その神様は万人の行く末を遍く気にかけていらっしゃるわけではないと思えてならない。何故って、つまり自分が縁遠いからだったりするけれど。
もうたぶんこの先、そんな心ときめき胸躍るような出会いの機会は、そんなに多くもないと思うけど、それでも時々、こういう場所に行ってみたくなるのが人情というものだ。
まあ、理由なんて実際のところはないに等しくて、単に久々に行ってみたらいいんじゃね?・・・ぐらいの感覚だったりする。
長距離遠距離を旅したり、期間が長くかかるような旅行だって、実際のところはその場に行くのにそこまでムチャクチャに強い動機付けみたいなものがある場合と無い場合とがあると思う。
動機付けとしては、主にこういうものがあるんじゃないか。

〇〇(景色・人・状態など)が見たい
××(そこに行かなければ体験できない何か)をやりたい

概ねこの辺りに集約されると思う。もちろん、それはありだし、そういう目的があった方が旅(今回するのはその旅にすら満たないものだが)やお出かけがより面白くなろうというものだ。

その一方、ノープラン・行き当たりばったり・成り行き任せ・出たとこ勝負という旅やお出かけも、これはこれであって良いと思う。どうあっても意義や目的がなければならない旅やお出かけというのは、一歩間違うと兎角堅苦しくなりがちな面がある。
気楽に構える成り行き任せの街歩きなど、これはこれで楽しいじゃないか、となったので、それじゃやってみましょ、と。

先日、サッカーのついでに境港に行った時だって、ほぼノープランだったわけだし。

これなんか、あとにサッカーの試合があるという以外の制約はなく、強いて言えば時間的な制約があった(列車移動だから)というのがあった程度で。それを考慮しなければそれなりに楽しめる行程ではあった。

で、今回の出雲大社ぶらりもこれに近いものがあった。なんたって、我が家から車で数十分あれば行ける場所だ。
自分はそこまで信仰心が篤い人間ではない。何しろ家の菩提寺だってろくすっぽ参らないような体たらくだ。そのくせ神社に初詣には毎年のように出かけていく。大したことなんか祈りもしないくせに、ご丁寧にお参りにだけは行くんだから始末に負えないと言うべきか・・・。

てなわけで、車を飛ばして行ってきた。

出雲大社にはいくつかの駐車場があるわけだが、まあ、普通は真横にある大駐車場に停める。何しろ歩いてすぐに本殿に行けてしまうので、便利な場所である。(なお、標識と駐車場内の看板写真に関しては、今回の写真ではなく、数年前に初詣に行った際の写真である。念のため)

少し前にも訪れてはいるが、まずここに行こうと思った。

不覚にも50年近く生きてきて、出雲大社にこういう場所があることを一昨年まで知らなかった。

野見宿禰(のみのすくね)というのはWikipediaからで申し訳ないのだけども・・・

通常は「相撲の始祖」として知られている。何故大相撲で時折出雲場所と称する巡業が組まれるのか、実はよくわかっていない面があったのだが、野見宿禰にちなんでいるのか、と得心がいった次第。
この野見宿禰にちなんだ神社は、愛知県豊田市にある野見神社を筆頭に、大阪府枚方市の片埜神社、島根県松江市にある神魂神社(かもすじんじゃ)、同じく松江市にある菅原天満宮、鳥取県鳥取市にある大野見宿禰命神社、奈良県桜井市出雲にある十二柱神社などが知られるという。この他にも全国各地にちなんだ神社があるそうなので、興味のある人は調べてみて、行きたいと思ったら、是非時間を見つけて行ってみると良いかもしれない。

さて、出雲大社の中にある野見宿禰神社というのは・・・

こういう驚くほど小さな祠程度のものでしかないのだが、しかし、ここに相撲の始祖であるところの野見宿禰が祀ってあるというのだからそうなのだろう。

平成の大遷宮奉祝行事として、かの白鵬や日馬富士が奉納土俵入りをしたそうだ。なお、その際に使われたのかどうかは知らないが、近くにはちゃんと土俵も設えてある。

なお、ここの野見宿禰神社にはこういうのがいる。

まわしを締めた力士風のウサギである。これがまた何とも可愛らしい。出雲大社には後ほど明らかにするようにこういうウサギがたくさんいる。隣の歴史民俗博物館にもいる。

歴博のウサギ(この写真は本日の撮影ではない)はこんな感じ。こんな感じのがそこらにいるのだ。ウサギだらけというヤツだ。

ともあれ、お参りはした。一応、賽銭箱もあるし。相撲の始祖ということもあって勝負を司る神様だろうから、その方面にちなんだお願いをしてきたつもりだ。
伝承や神話というのは、現代に住まう我々にはなかなか縁遠い存在となりつつあり、ここに祀られている野見宿禰にしても存在の虚実の段階からして謎の多い存在ではあるのだが、その虚実をロマンあるいはミステリーと捉えて楽しむ姿勢は大切なのかもしれない。
それらを大真面目にしかつめしい顔をしながら掘り下げていくのは学究畑の皆さんがするべきことで、我々市井の凡人はもっと気楽に楽しんでいけば良いと思う。

さて、この野見宿禰神社のすぐ傍にこういう像が建っていた。

何か野見宿禰に関係があるのかと思うと、そうでもないみたいだ。というより、この出で立ちからしてそもそも無関係のような。台座部分に「水辺を歩く」とあったので、そういうモチーフで造られた像なのだな、と思った。胸の部分が膨らんでいることから、この像が女性であることは想像がつくのだが、そもそも、出雲大社の野見宿禰神社の傍に何故「水辺を歩く」女性がいるのかはわからなかった。
前に野見宿禰神社に来た際にはこの像を見かけた記憶がないので、それ以降に建てられた像なのだろう。まるで何処やらにある彫刻の森美術館的な様相すら呈しつつある。出雲大社は何処に行こうとしているのだろう。

野見宿禰神社を離れると、こういうものがあった。

意味のよくわからない彫刻である。彫刻の森美術館化がどんどん進行しているような様相すら呈している昨今の出雲大社は本当に何処に行こうとしているのだろう?

しかし、出雲大社でこのような光景を目にするとホッとする。松並木がとてもきれいだ。この色合いに癒される。松葉の緑と木の皮の色合いとが織りなす調和っていうと随分と高尚に聞こえるが、要はこの落ち着いたコントラストに何となくホッとしちゃうのだ。

この種の灯籠や常夜灯の類を見ると、こういうのが本来は出雲大社にマッチングしてるよな、と思う。出雲大社という場所には、あまり意味のわからない彫刻は置かない方が良いんじゃないだろうか。確かにそれらは芸術かもしれないし、それはそれで良いのだけど、芸術の名の下にあれも置こうこれも置こうとやっていると、どんどんわけがわからなくなるのではないか。やはり程々にしておくのが一番良いのかもしれない。出雲大社という場所柄にこそ映える普遍性みたいなものは損ねてほしくないな、と思った。

そんなことを何となく思っていると・・・

ウサギキター!(違

先程の野見宿禰神社どころの騒ぎではない。ウサギが群れをなしているではないか。ウサギの大量発生状態だ。ウサギLoveの人にとってはたまらないだろう。

こういうウサギの石像をホームセンターで売ってるのを見たことがあるのだが、それらを安っぽいとまでは言わないし、見ればそちらもなかなかよくできているのだが、置かれている場所柄のおかげなのか、こちらの方が神々しく見えるのは気のせいだろうか。

ウサギにまみれたいという人にはたまらない場所かもしれない。ホント、ウサギだらけなのだ。そしてこれだけではない。まだいる。

ウサギが4匹並んでいる。四つ葉のクローバーというのは知っているが、4羽のウサギというのはあまり聞いたことがない。

よく見ると4羽並びのウサギの方は皆ニッコリ微笑んでいる。これはまた何とも可愛いというか。

挙げ句、こういうのまでいる。どうも神様たちが何かを話している前で2羽のウサギがいるようだ。

ウサギA「おいおまえ。こいつら、何話してんのかな?」
ウサギB「どうせ今晩何食うか何呑むかとか、そういう話だろ?」
ウサギA「その後ぱふぱふすんのかな?」
ウサギB「さあね。俺知らね。」

・・・んなわきゃねえ。皆さんも想像してみると面白いかもしれないけれども、あんまり不謹慎な想像はしない方が良いかもね。

こうした松並木を通り過ぎながら、やがて拝殿方向に近づいてきた。

ちょっと身が引き締まる思い。

大国主命と思しきものに見守られているせいか。何だかよくわからないが、そういうことにしておこう。

手水をいただいて清めてから

今日はどうしたものか、参拝客はそこまで多くないように思った。正月とかゴールデンウイークとかみたいな最盛期をあまり体験してない(厳密に言えば正月は体験済みだが)ので、よく知らない面もあるが。

ともかく参拝はした。

新しい天皇陛下がご即位あそばされたので、こういう幕がさがっていた。当然だろう。保守的な心情があろうとなかろうとこういう場所に来てこういう幕を見ると、それはそれで厳粛な気持ちになるものだ。神社に限らず、例えば仏教の寺院でもそうだし、キリスト教などに於ける教会もそう。あるいはイスラム教で言うところのモスクなどもそうだろう。伝統に根ざした宗教空間というのは、その宗教を信じるか否かを別にして、人の気持ちを特別なものにしてくれるもののようだ。

今の時点で自分自身の中に形成されているイデオロギーがどうであろうと、皇室に対する敬意というものは、そういうものとは別個の存在として考えるべきではないか、とこの歳になって思うようになってきた。
特に左方向の人々はそれを保守化あるいは右傾化と呼ぶのかもしれないが、そんな大袈裟なものではなく、もっとそれ以前の、人としてのプリミティヴな心情に根ざすものだと思う。人と人との信に基づく心情とでも言えば最も適切かもしれないが・・・。うまく説明はできかねるが、恐らくそういうものなのだろう。
それは保守化右傾化以前の、人間として持つべき気持ちの問題だろうと思うのだ。まあ、今ここで話したいのは主義主張の話ではないので、これ以上は差し控えるし、Twitterなどで話されても困る(自分にそのようなことで話しかけられても基本的には親しくリプなどをやりとりしていない方については黙殺しますし、その基準は当方の独断で決めます)ので、皆さんの心中に留めておいてもらったらいい。

ちょっと話が脇道に逸れてしまったので、本題に戻ろう。神社に来たからにはおみくじを引ける場所では引く。

さて、結婚のところを見ると「年末が良い」とあるのだけど、果たして結婚できるのか?
きわめて油断のできない年らしいので、ある程度慎重に暮らすようにしないといけないのかもしれない。2月に階段から転げ落ちて肋骨2本ばかし折ってるし、油断はしない方が良いな、とは感じたところなので、これから先も慎重にしなければ。
このおみくじはちゃんと括って吊しておいたので、念のため。

なお、お守りもお金を出して授けていただいている。

このような2種のお守りを授けていただいた。御利益があると良いと思う。

さて、自分は拝殿にしか入っていないので、このような撮影が許されている(ただ念のため大きいカメラはしまったため、拝殿では未使用)のだが、これがもし一度「八足門」と呼ばれる門から中に、つまり本殿に入った場合はカメラの類では静止画も動画も撮影できない。
更に本殿に入るのに際しては服装にも制限がかかる。この辺は注意しておかないと本殿に入れてもらえない。出雲大社の本殿は特別な場所なのだ。以下のことに「注意事項」をご参照あれ。

さて、一通り参拝を済ませると、拝殿の入り口近くに牛と馬がいるのに気づいた。

これらの牛馬に何の意味があるのかは知らないが、恐らく農耕用の牛馬なのだろう。これらにもお参りしておいた。

こうして拝殿をようやく出た。するとこういうものに出くわした。

大国主命が波(に洗われる玉と思しきもの)に祈りを捧げているかのように見えるのだが、これは何だったのか。自分でもよくわかっていない。

団体さん用にカメラが置いてあったのだが・・・

残念ながらカメラマン不在。ていうか、その状態でカメラ置いとくなって思うのだけど。

さて、松並木の両側に歩道が設えてある部分がある。

要はこれ、松の根を保護するための方策なのだ。故に一部区間では松の並木の両側が歩道になっているというわけ。

ようやく正面に着いたぜ。さて、この先行きたいところは・・・

違う。ここじゃない。

結局、ご縁横丁に入ってみることにした。いくつかのお店があり、蕎麦屋、唐揚げ屋、おにぎり屋、ぜんざい屋、漬け物屋などが軒を連ねている。おにぎり屋が魅力的だなあと思ったが、蕎麦の抗し難い魅力に誘われ、蕎麦を食いに入った。

割子蕎麦はいいのだが、初手から汁かけてあってこれに些か面食らった。観光客用のアレンジなのだろうけど、そこは汁も別容器で持って来てくれたら良かったのに、と思うのであった。まあ、仕方がない。その店のお作法で食うより他ない。蕎麦そのものは普通に美味かった。
ただ、自分は病気の影響などもあって、ボリューミーなものはなるべく控えるようにしているけど、食えるんだったら、おにぎり屋で肉巻きのおにぎりをトライしてから、唐揚げ屋で唐揚げを食してみたかった。あと、ぜんざいも美味そうではあった。
ただ、蕎麦に関して言えば、ここより他の店を自分の足で探すべし。そう思うのであった。

なんでまたこういう観光地気分でわけのわからないものを買うんだ、とかいうツッコミはしないように。

Tシャツとは別の店でダルマ型の鈴と、勾玉のアクセサリー(というよりもこれは根付けらしい)を購入した。スターバックスには寄ってない。前に何度か行ってるので、今回わざわざ寄らなくていいやと思っていた。

さて、車を置いてる駐車場まで戻る道すがらデこういうファミマを見つけてしまった。

ここって、確か以前は土産物屋だったはずなのだが・・・。いつからファミマになったのか知らないが、これがどういうわけかファミマになっている。今回一番驚いた。入っていないので印象はわからないが、見たところ居抜きで入ってるっぽいので、コンビニと言うよりコンビニの業態を借りた土産物屋になっていると思った方が近いのかもしれない。

まあ、こんな感じで出雲大社をぶらっと回ってみた。時間的な余裕があるなら、もう少し広い範囲で街並みを回ってみることをお勧めしたい。

特に出雲阿国の墓とか

もう少し足を伸ばして稲佐の浜(以下の写真は相当前に撮影したもの)なども良いだろう。

もちろん、出雲大社の東側にある島根県立古代出雲歴史博物館に行ってみるのもいい。

または旧JR大社駅(これも以前に撮影)

少し遠くなるのだが、この辺りもコースに入れてみても良いかもしれない。地元民ですらこれぐらいははしゃげる場所なのだから、観光(しかも時間に余裕があればなお良い)だと更に間尺が広がるだろう。

出雲大社は単なる観光地ではないのだ。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。