マガジンのカバー画像

ガイナーレ鳥取アンソロジー

7
ガイナーレ鳥取アンソロジーシリーズをまとめています。
運営しているクリエイター

#オールガイナーレ

ガイナーレ鳥取アンソロジー番外編(ドリームチームを組んでみたよ)

需要があるかどうかは知らない。とりあえずやる。異論は受け付けるが、あくまでも「自分なりの感覚で自分が独断と偏見で選んだもの」であることを御承知いただきたい。 なお、当然なれど、ガイナーレ鳥取期に在籍した選手のみで構成している。山村とか最初期にしかいなかったので、ここに含めて良いものかどうか迷ったが、まあこういう選手は好きなので許していただきたい。 では始める。シリーズのお約束で、ここでも全員敬称略。どうでもいいが、これを作りたいがためにLINEUP11を久しぶりに入れたw

ガイナーレ鳥取アンソロジーVolume6( #オールガイナーレ 時代と今後)

さて、このシリーズも遂に最終回。例によって登場する人名は敬称略なのでよろしく。 2019年ところで皆さん。「#オールガイナーレ」と何故言われているかを知っているだろうか? このシーズンから監督を引き受けた髙木理己が新体制発表会見に於いて、何気なくそれを口にしたことが始まりだった。 彼は会見の最初の段階で「オールガイナーレ」を何度か口にした。たぶん、髙木としては考えての発言と言うより、チームとしての一体感を手っ取り早く表すのに相応しい言い方としてこの言葉を使ったものと思う

ガイナーレ鳥取アンソロジーVolume5(森岡・須藤10SPIRITS時代)

2017年にとっとと行こう。この頃から、ガイナーレは大きく方向転換をしたと思うので。 例の如く、登場する人名は敬称略なので、悪しからず。 2017年たぶん、だけど、闘将さんはいろんな意味でガイナーレ鳥取向きの監督ではなかったと思う。 確かに超有名人だったが、単にそれだけでしかなかった。サポーター受けもすこぶる付きで悪いような印象しかなかった。 その点、闘将さんの後を引き継いだ森岡隆三は、熱意だけなら非常に大きくあった。 何しろこの人は、理論家肌。ガイナーレ鳥取の公式Fa

ガイナーレ鳥取アンソロジーVolume4(J3松波・柱谷時代)

まだまだ続くよ。とうとうJ3期に突入だ。 2014年前年12月上旬、カマタマーレ讃岐との入れ替え戦で1敗1分の成績しか挙げられず、J2を去らねばならなくなったガイナーレ鳥取。 だけど、よくよく考えてみるに、それも致し方のない部分があって、特に運営上の不備は誹られても仕方がなかった。 例えば、当時騒がれたいわゆる「白バス問題」など。 今でこそ正規の届け出をした上で、そうした事業を行える事業者が、有償のシャトルバスとして運賃を取って運行しており、自分もしょっちゅう世話になっ

ガイナーレ鳥取アンソロジーVolume3(J2時代)

Volume2にエラくスキがついたので、些か面食らっていたりする。いやだって、確かに自分はガイナーレ鳥取と長年関わり続けているけど、サッカーの特にJリーグでは最も下層に位置するJ3のチームを取り上げるネタでそんなにスキがつくはずねえし・・・と思っていたのだが、こうなってみるとこんなテキストでも書き甲斐があろうってもんで。誠に有難いことです。 ということで、Volume3はJ2にいた頃のお話。但し、言っとくけれど、この最中の2012年4月上旬に、自分は脳梗塞を起こしてぶっ倒れ

ガイナーレ鳥取アンソロジーVolume2(J参入寸前と達成)

前回の記事の続きを書く。例により。登場する人名は敬称略。 2009年 この年から「強小〇年」と銘打ち始めている。「強小」と銘打ち始めた時期の流れはこの辺でもお読みいただこう。 このシーズン以来、強小はチームの合い言葉みたいなものになった。 ところで、この人誰だっけ?いや、この年の春先の練習試合のカターレ富山戦@桃スタにいたんだけど、籍を置いてない選手のはず(2009年の外国籍選手はハメドと徐万喜のみ。したがって前年いたアドゥールではないことは確か)なので、全然思い出せ

ガイナーレ鳥取アンソロジーVolume1(強小時代の前)

J3リーグはまだ始まらない。何しろこういう状態だ。 退屈でしようがないから、すぐにでも始めろ、みたいなことを言うのは論外で、COVID-19が世界的なパンデミック状態である今は、できることをしたら良いんじゃないかと思う。 そこで、自分は「ガイナーレ鳥取アンソロジー」みたいな企画をやってみることにした。 アンソロジーと言うが、正直言うと、撮った写真を適当に並べつつ、歴史をなぞるだけの企画ではある。しばしおつきあい願おう。 なお、基本的には人名は全て敬称略で記載する。 20