№5011:せめて自分のまわりのことは自分で決めよう!
こんにちは。(株)個のサポーターズクラブの遠藤です。
※過去分はこちらにあります。
さて、一昨日は「決められる虚しさ」について記しました。
こちらは「冗談じゃない」と思っていても「緊急事態宣言です」と言われたら黙って従うしかない。
これほどまでに自尊心が低下することはありません。
考えてみれば、私の人生は「決定権の獲得」を求めてきたようなものです。
私は独立起業したかったわけではありません。
「物事を他人に決められるのが嫌だった」のです。
もちろん何でもかんでも「自分で決めたい」と思っていたのではありません。
「自分の人生」や「自分の生活」と直結することを他人に決められるのが嫌だったのです。
サラリーマンはこの「ほぼすべて」を会社に決められます。
働く場所。
働く時間。
働く時間数。
働く仲間。
給料。
能力(会社の求める能力になることで昇進する)
そして住む場所(働く場所によって規定される)。
これらは「人生そのもの」です。
この「人生そのものの決定権」が他人(会社)にあるのです。
にもかかわらず、ほぼすべてのサラリーマンは転勤にせよ異動にせよ「やりがいのある環境を与えてもらっている」とか「与えられた場所でベストを尽くす」とか言って権力側を喜ばしている。
これを「企業奴隷」といわなくして何というのでしょうか。
今の時代に35歳も過ぎてこんなことを言っている人はまわりから軽蔑されるだけですから注意した方がいいです。
当たり前ですが、現在の私は上記のすべてを自分で決めています。
これらをいつまでも他人に決められてそれに感謝しているような人と仲良くなれるはずがありません。
で、緊急事態宣言。
これに異を唱えるのであれば、自分が政治家になるしかありません。
が、そんなつもりは0.00000000000000000001%もない。
であれば従うしかない。
とはいえ「自分はこう思う」という考え方までは持っておく。
そこで自分自身をキープするしかない。
だからこそ「自分のまわりのどの範囲までを自分で決めることができるのか」ということが、私にとって重要なのです。
さらにこの「決めることができる範囲」が「自分の人生観」と合っていることが必要です。
私が見た感じだと大半の人はこの範囲を決めていません。
だからそこに他人が入ってきても平気なのです。
誰もが自宅に他人が入ってきたら嫌がるでしょう。
※これを「泥棒」という。
では何故「自分の人生」に他人が入ってくることは認めるのか。
「自分の人生」が泥棒に遭っていることを強く自覚すべきだと私は思います。
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