№4995:今後の教育は「縦方向の直線的な関係」から「対等から成る竜巻状の関係」へ!
こんにちは。(株)個のサポーターズクラブの遠藤です。
※過去分はこちらにあります。
さて、今も昔も教育というのは「先生」と「生徒」がいるのが一般的です。
言うまでもなく、ここには「上下の関係」が生じます。
必然的に生徒は先生のことを「〇〇先生」と呼ぶようになります。
が、この関係が正当化されるのは所謂「学校教育まで(最長で大学まで)」だと思います。
が、多くの大人が社会人になってまで「先生呼称」をやっています。
ビジネススクール然り、各種研修会やセミナー然り。
身近なところではトレーナーやインストラクターも「先生」と言われています。
これって何なんですかね。
まず「先生と言う側」。
「目上の人」とか「教えてくれる人」はすべて「先生」なのでしょうか。
が、これは理解できるんです。
私たちはそういう「上下の教育」を徹底的に受けてきているからです。
問題は「先生と言われる側」にあると私は思います。
だって「対等」でしょ。
これは「人間として」もそうだし「価値交換の観点」でもそうです。
「教える側」と「教わる側」は対等です。
ちなみに私は仕事上「遠藤先生」とよ~く言われますが、ただの一度の例外もなく瞬時に「遠藤さんでお願いします」と切り返しています。
だって「先生じゃないから」。
まぁ各自の価値観なので「間違っている」とは言いませんが、この関係性では「知の循環」は起こりません。
そこが問題なのですよ。
では「知の循環」とは何か。
これは「知」が竜巻のように上方へスパイラルしているイメージをしてくださればよいと思います。
わかりやすく「先生と生徒」で説明すると「先生も生徒も竜巻に巻き込まれて上方へ上がっていく」ということです。
この「上方への竜巻」こそが教育であり指導です。
旧態依然とした「先生と生徒」の関係性にはこれがありません。
あるのは「上から下」。
だからいつまで経っても「主従」が変わらない。
ずーっと「上下」のまま。
今後の教育は「縦方向の直線的な関係」から「対等から成る竜巻状の関係」になっていく必要があるでしょう。
何故ならそこにしか「双方の幸せ」はないからです。
私もそうですが、学校という職業としての先生以外で「教える立場」にある人というのは、その時にたまたま知っていることとか、たまたま優位性のあることを教えているに過ぎません。
それが「先生」なんておかしな話です。
「上から下」の教育は完全に古いと思います。
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