真面目にしてるのに・・・って思う人って多分これが足りない。

まじめがバカを見る、と言うのは本当によくないといまだに思っていますが、まじめって評価は様々な意味が含まれていることに気がついた。

例えるなら、人のパートナーを見ていい人そう!と言うコメントぐらいいろんな意味があると思う。

真面目なおバカである僕が思う、なぜ真面目なことが仇になりやすいか?と言うのを書いてみる。

真面目で馬鹿な人は想像力がない

結論、ここである。

想像力。配慮、とも言うのでしょうか。仕事でもなんでもそうですが、相手がやりやすいようにすること。

ただ、ハイレベルな配慮ができる人は該当しない。業務のサポートレベルですら危うい人はきっとまずいんだと思う。

どんな仕事にも、いくつかの段取りが存在する。その段取りがスムーズに行われるようにするのが最低限の配慮である。

例えば、レジが混んでいるときに気がついた店員さんが新たなレジを開く、誘導するのはこの基本だと思う。これは、配慮ではなくマニュアルとして設定されているはずである。

想像力がない人はこのマニュアルすら無視するw自分の行動しかしないのだ。

言われたことはちゃんとやるが、今しなくてもいいだろみたいなことをそのまま行う。そう言う人は真面目だとしても結果や評価には繋がりにくい。

適当なのに、評価がいい人ってなんだろう?

真面目な人が割と嫌うw適当な人。

この人たちは、言葉の適性を見ている。今やるべきかしないかを判断するのがうまいのだ。(その代わり、本人が緊急性を感じてない場合は仕事が滞る)

学校のテスト勉強とかがいい例かもしれない。こう言うタイプは最低限覚えてるだけとは言うが、外してはいけないポイントはきちんと覚えている。

一方、自称真面目な人は全部やろうとして中途半端になる。行動は真面目に見えるのだが、その時間が大事だと思い過ぎている。

こう言う、頑張っている姿を評価してほしい!となってくると社会生活はなかなかしんどい。

真面目さと結果をマッチさせるには?

自分の適性とできることを正確に評価する、これに尽きる。

まずはやりたいことを書き出す、そこから時間配分を考えていく。途中から時間配分の限界やペース配分の調整が必要になる。

それを行なっていけば、何が得意で何が不得意かは見えてくるはずである。そして、うまくいけばどのぐらいの努力で成果が出るかまで掴めるはず。

ここが少しずつでもわかってくると、仕事でも余裕は生まれるし自分の時間がないと思っている人も、なぜ時間がないのか?が見えてくる。

結局は今の行動に疑問を持つ、と言う想像力が大切なのである。

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