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小さすぎるGKとのアナザーストーリー

先日、ジブラルタルリーグのManchester 62 FCに所属する冨澤拓海選手(以下:拓海)にインタビューを行い、記事を書かせてもらった。

拓海とは、私が海外でプレーする前の社会人時代(2014年)に出会った。

私が当時所属していた社会人チームに、拓海が練習参加をしたことがきっかけだ。

その時はまだ高校生で、時々社会人チームの練習に参加するアマチュアプレーヤーの一人に過ぎなかった拓海。

私も、当時高校生の拓海が、何を目的に社会人チームの練習に参加しているのか、知る由もなった。

というか、そこまで興味が無かったのが本音だ。


私は大学卒業と同時にサッカーを一度辞めた。

その後、私は普通のサラリーマン生活を送っていたが、とある日に腫瘍が見つかり、そのことがきっかけで自分の生き方を改めた。


「もう一度、プロサッカー選手になる」という夢を叶えるべく、ガリガリにやせ細った身体をいちから作り直し、社会人チームに入り、その後は海外チームのトライアルに挑戦しようと考えていた。

そんな社会人時代に、私は拓海と出会う。

私は「もう一度プロサッカー選手になりたい」という想いを誰に話していなかったので、もちろん拓海も私の目標など知らない。

きっと、拓海は私のことを「練習参加しているチームにいる一人の選手」としか認識していなかっただろう。


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月日は流れ、私は日本国内で行われたとあるプロチームのセレクションに参加した。

その会場には、私と同じくプロサッカー選手になることを目指している選手達が約30人ほど集まっていた。

そんな中、受付をしている時に見たことがある顔を見つける。

「あれっ?拓海だ!」

そのセレクション会場にいた拓海の姿を見て、私は初めて彼が「プロサッカー選手」を目指していることを知った。

それは、拓海も一緒だったと思う。

その時に初めて、お互いが「プロサッカー選手」を目指していたことを知ったのだ。


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二人とも、そのチームのセレクションには受からなかった。

私は、違うセレクションを受けて、モンゴルのFC Ulaanbaatarというチームに入団が決まった。

拓海は、1年間日本の社会人チームでプレーすることを決めた。

お互い違う道を歩んだが、すぐにその道筋は合致する。


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私はモンゴルで1シーズンプレーした後、翌年はニュージーランドへ挑戦することにした。

同じタイミングで、拓海もニュージーランドで挑戦することを決めていた。

2016年、お互いの夢を叶えるべく南半球のニュージーランドへ向かう。

二人ともオークランドという町に住んでいたので、現地では多くの時間を共に過ごした。

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私はオークランド州の1部リーグ、Three Kings Unitedに所属し、拓海は同リーグのOnehunga Sportsに所属した。

対戦する日を楽しみにしていたが、とある日に拓海は突然チームを移籍した。

移籍先は、私が所属するThree Kings United。

なんと、異国の地でチームメートとなった。

「同じピッチでプレーしたいな!」

と話していたが、結局二人はシーズン終了までに同じピッチでプレーすることは無かった。

私はトップチームのスタメンとしてプレーさせてもらっていたが、拓海はトップチームで試合に出場することができなかった。

彼の苦悩を常に側で見ていたが、フットボールの世界は実力主義。

私にできることは限られており、拓海自身が自らの足で這い上がるしかなかった。


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お互い違う場所での活躍を誓い、拓海と別れた。

2017年、私は活躍の場所をタイに移す。

拓海は、私がプレーした経験のあるモンゴルにチャレンジ。

お互いが、また違う道へ進んだ。

私は、灼熱の地からステップアップすることを目指す道へ。

拓海は、極寒の地でプロサッカー選手として生きる道を歩み始めた。


そんな矢先、再びお互いの道が合致すると私は思ってもいなかった…


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拓海はモンゴルでの活躍が認められ、翌年の2018年もチームとの契約を更新していた。

反対に、私はチームが見つからない状況だった。

タイやカンボジアのチームにセレクションに行くも契約には至らず、当時は怪我を抱えていた事もあり、日本に帰国していた。

そんな中、過去にプレーしたモンゴルのチームから突如メッセージが届く。

「いまチームが決まっていないなら、また一緒にプレーしよう。」

そのメッセージを受け、私は拓海が待つモンゴルへ飛ぶこととなる。


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2018年、私は古巣であるモンゴル1部リーグのFC Ulaanbaatarと契約した。

拓海は同リーグのAnduud City FCと契約更新。


そして、ついに同じピッチで対戦する日がやってきた。

まだ、互いアマチュアだった2014年に当時東京都2部のチームの練習場で出会い

夢を叶えたくて海外に飛び出し

2016年はニュージーランドで同じチームになるも一緒のピッチに立つことは叶わず

2017年にお互いの場所で再出発を誓い

2018年にようやく同じピッチに立つ時間が訪れた。


気が付けば、初めて出会ってから4年の月日が経ち、お互いの夢を叶えた「プロサッカー選手」の肩書きを背負いながら、真剣勝負の舞台にいる。

なんだか私は、物凄く感慨深かった。

まだ坊主頭が伸びたような髪形をしていた高校生だった拓海が、私のチームが目指すゴールマウスの前に金髪姿で立っている。

身長は変わらないはずだったが、なんだか少しだけ昔より大きく見えた。


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結局、私が所属するFC Ulaanbaatarと、拓海が所属するAnduud City FCは、シーズン中に3回対戦した。

初めて対戦したリーグ戦は引き分け。

次のカップ戦ではPK戦にもつれるも、拓海がPKを止めてAnduud City FCが勝利。

3回目の対戦では、私が決勝ゴールを決めてFC Ulaanbaatarの勝利。

チーム同士の直接対戦は1勝1敗1分で、私が所属するFC Ulaanbaatarがリーグ2位。拓海が所属したAnduud City FCが3位。

お互いリーグ優勝はできなかったが、表彰式でメダルをかけて一緒に写真を撮ることができたのは、少しだけ嬉しかった。

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今は、またお互い違う道を進んでいる。

でも、きっとまたどこかで道が合致する日が来る気がする。

拓海の言葉を借りるなら、お互い「サッカー人」である限り。


冨澤拓海



プロフィール

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大津 一貴(オオツ カズタカ)

1989年 10月 25日 生まれ 北海道旭川市出身(その後すぐに札幌市)

●経歴
山の手サッカー少年団
SSS札幌サッカースクール
青森山田高校
関東学院大学 サッカー部
2013-2014 T.F.S.C(東京都リーグ)
2015 FC Ulaanbaatar(モンゴル)
2016 Three Kings United(ニュージーランド)
2017 Kamphaengphet FC(タイ)
2018-2020 FC Ulaanbaatar(モンゴル)


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