盾にも矛にも


想像する。

毎日毎日、自分に向けて
知らない人から誹謗中傷が送られてきたら、
私はどうなってしまうのだろう。

きっと見なければ良いって思いながら、
その言葉が連なる画面を、永遠とスクロールするのだろう。

心臓はきゅうと締まって、脈の速度をあげて、
頭の中は自分に向けられた悪意で一杯になってしまうのだろう。

誰といても何をしていてもそれらが反芻して
全ての時間を奪っていくのだろう。

そしてそれらに動揺して、傷つく自分を
誰にも悟られないように、
いつも通りの時間を過ごすのに必死になるのだろう。

同い年だった。
私も彼女が出ていた番組を好んで観ていた。

だから彼女に向けられた言葉がどんなものなのかを知っている。

番組終了と同時に
彼女のSNSに溢れる罵詈雑言を、眺めていた。

画面の向こうで言葉を連ねる不特定多数の彼らは
膨れ上がった正義感で、彼女のことを切り刻んでいた。

そして彼女は、 死んでしまった。

知り合いでもない。画面の向こうの彼女。

そんな彼女のことを想像する。

最後にお化粧をした時、彼女はどんな気持ちだったのだろう。
最後に食事をする時、彼女は何を思ったのだろう。
最後に言葉を発する時、彼女はどんな言葉を選んだのだろう。

その全てに
最後という枕詞を付けようと決心した時、
彼女はきっと泣いていただろう。

正義は、正しい道義のことをいう。

彼女をメッタ刺しにした顔のない正義たちのそれは、
果たして正しかったのだろうか。

彼らは、今も胸を張って
自分は正しかったと笑えるのだろうか。

正義は盾になる。
自分が正しいと思ったことで、自分を守れる。

そして正義は、矛にもなる。
自分が正しいと思ったことで、何かを攻撃できる。

けれど自分が定めた〝正しい〟は、
万人にとってのそれではない。

だから私の正義は、私を守る盾として使っていきたい。

私が、誰かを傷つけない為に。
私が、誰かに傷つけられない為に。

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