自分の声が嫌いだったんだ

低い、太い声。
男の子だったらかっこよかったかな。何回も思った。思春期の頃から数えたら、多分三桁はいくくらい、考えた。

私の声が、もしも高かったら。

みんなみたいに可愛い声だったら、少しでも、もう少しでも、自分のことを好きになれたのだろうか。

昔から声が低かった。
ハスキーボイスと言えば聞こえはいいものの、やっぱり他と比べると、その低さは自慢出来るものではなかった。

初対面の人にはほとんど聞かれた「酒やけ?」という質問も、もう慣れていた。

ぼーっとしながら返事をすると「怒ってる?」と伺われることも、もう慣れていたんだ。

別にそこまで気にしてなかったけれど、やっぱり少しでも高くなればいいな、と願っていた。

声について何か言われると、例えそれが良いものであっても鈍い感情が生まれた。


仕事から帰ると母が昔のホームビデオを観ていた。
そこに映るのは、今から20年ほど前の、私を産んだばかりの母と、小さな私と、祖母だった。

祖母は、それから10年後に、今から10年前に、
死んでしまうのだけれど。

画面の中では愛おしそうに、幼い私を抱いていた。

そして、記憶の蓋が開いた。

人は姿は覚えていても、声と、匂いは徐々に忘れていく。

あんなにも好きだった祖母の、忘れていた声を聞いた。

低く、太く、
まるで私と同じ、ノイズまじりな声。

私の嫌いな私の一部は
もしかしたら貴方に似たのかもしれない。

そう思ったら、少しだけ、
自分の声を好きになれた。

安らぐ声が届けてくれたのは、
自分の良さに気がつくきっかけだった。

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