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Octopus Legs(仮)序章

楓の葉も赤く染まり始めるころ、俺は妹と大学の文化祭に来ていた。
兄の俺が言うのもなんだが、妹は本当出来すぎた人間だ。優しいし、明るいし、容姿だってそんじょそこらの女よりはるかにかわいいと思う。
しかし、そんな自慢の妹は、只今、俺の隣には不在だ。
「ちょっと一人で見て回ってきていい?」
そう聞いたのち、あいつは展示のやっている校舎へ元気に走って行ってしまった。
 元から大して社交的でもなくサークルにも所属していない俺は、特に一緒に回りたい友達がいるわけでもないので、はらはらと枯葉の落ちる木の下のベンチに腰を掛けた。
 
どうやら、座ってぼーっとしているうちに眠ってしまったらしい。
 日はすっかり傾き始めていた。
 妹が心配になり、携帯で電話をかけたが――つながらなかった。
 (特に焦ることもないだろう。妹ももう高校生だ。合流できなくてもひとりで家に帰ることもできる。)
 心で何度もそう唱えてはいるものの、心配には違いないのでふらふらと立ち上がって妹の姿を探し始めた。
 しかし、なかなか見つからない。展示をおこなっている校舎、イベントをやっている体育館やステージ前など、来場客が行きそうなところはおよそ回ってみたが、そこにはがやがやと退場していく人の群ればかりで、妹の姿はなかった。
 
夕陽から逃げるように伸びる影に、さらに追い立てられているかのように俺は早足になっていた。
 謎の不安に駆られて、やけに広い大学内を夢中で歩き回っているうちに文化祭とはおよそ関係のない研究棟の方に来てしまっていた。
明らかにミスだ。帰宅しようとする来場者の多くが向かうであろうバス停のある敷地の出口へ向かうべきだった。
あー、と思わず天を仰いだそのとき、青い空と白い建物の映る視界の端に、見知った影を見た気がした。
首を正しい向きに戻したのち、急いでそちらに頭を向けると、そこには研究棟の屋上を走る妹の姿があった。
反射的に、
「おー」
い、と声をかけようとして何やらおかしいことに気づいた。
 そのまま走っていったら落ちてしまう。そもそも、なぜ、そんなところを、走っているのか。走り方もなんだかおかしい。心なしか表情も辛そうだ。いや、そんなことはどうでもいい。早く屋上の端に気をつけるように注意しなければ――。
 止まった。彼女の足は無事、柵の前で止まった。どうやら、そのまま行ったら落ちてしまうことに気づいてくれたらしい。今度こそ声を――。
 
彼女は大して高くもない柵を飛び越え、実に美しいフォームで空中を舞った。
しかし、そのまま空中に着地するかに見えたその姿勢はすぐに崩れ、五階分の高さを十分に加速したのち、鈍い音とともに地面にいびつに張り付いた。
(あっ……。)
動かない。俺も、彼女も、全く動かない。風すら動きを止めているように感じた。
ただひたすらに頭は冷たくなり、心臓は鼓動の速度を速める。手汗は止まらなくなり、体中ががくがくと震えだすその寸前で、一歩踏み出せた。
俺は妹に急いで駆け寄った。それからのことは頭も心もぐちゃぐちゃのままおこなった。ただひたすらに妹の名を叫び、周りに助けを求め、ろれつの回らない舌で119をし、途中別の大人に交代されつつもうろ覚えの胸骨圧迫と人工呼吸を行った。
必死だ。必死すぎて言葉になる感情はなにも湧いてこない。ただ、頭から、首から、腋から、つーぽた、つーぽた、と汗が流れ落ちるのを皮膚の上では感じていた。

何百秒そうしていただろうか。
やがて、サイレンの音がし、大きくなり、救急隊員は俺の手から妹の体を引き継ぎ、救急車に乗せられ、ストレッチャーに乗せられた妹の手を強すぎるくらいに握りながら、額をその手に当てて目を閉じ心の中で名前を呼び続けた。

狭い救急車の中で目を閉じている間は、無でもあり、悠久にも思えた。
病院につくと、妹の体はそのままリノリウム床の病院の廊下を運ばれ、俺も走って縋り付いた。
そして、救急治療室を前に看護師にはがされようとするその直前——、
「私に任せてください。」
妹であるはずの「彼女」は、何かに憑かれたように、はっきりと俺の目を見てそう言った。髪の毛の一束を触手のように俺の手に重ねながら。

(頭の中にあった、とあるアイデアから広がっていった物語の序章の序章を書いてみました。気が向いたら続きを書きます☺️)

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