見出し画像

若く初々しい有名作曲家の駆け出し最初期作品まとめ[10代の天才たちの作品]

作曲家といえど人間。生まれた頃は我々と同じずぶの素人で四分音符とはなにかすら知らない。そこから勉強を重ね、「これなら作品番号に入れても良いかな」と考えた最初の「作品」を書くに至る。果たして歴代の名作曲家たちはどのような作品が「最初の作品」となったのか。多いパターンとしては、「デビュー作」とはならない。学生時代の習作などが、その主たるものになるようだ。我々はそこから何を学びだすだろう。

J.S.バッハ「Chorale Partita ‘Christ, der du bist der helle Tag(コラールパルティータ キリストよ、汝真昼の光)」

これが15歳〜18歳(と推測されている)両親が死別して兄の元から独立して働きだした頃の作品である。コラールから始まり2声のパルティータが展開される。まだまだ大バッハと呼ばれるほどの力は感じられないが、展開がいちいちオシャレであるようにも感ずる。憎らしく秀才な一面はすでに感じられ、親しみを持てるというイメージがないのもこの頃からだったのだな、と思う。

L.V.ベートーヴェン 「ピアノ三重奏曲 第一番」

1794年、24歳のときの記念すべきop-1。非常にシンプルな素材をうまーく使っている堅実かつ爽快な作品。16歳ごろにモーツァルトに会い、21歳ごろにハイドンに作曲を習い始めるので、すでにそれらの後の作品ということなる。ごめん、ベートーヴェンの具体的な作品創作の歴に詳しくないんだけど、これ以前は完全に即興演奏の名手として活動してたから作品は書いてないってことなんだろうか?それとも書いてたけど捨てた?見つかってない?どれなんだろう。いずれにせよ、心地が良い作品だが、それでもモーツァルトと比べると明らかに慎重さも垣間見える。これ書いた人が第九書いちゃうんだからすごいよな。

R.ワーグナー「ピアノ・ソナタ 変ロ短調(in B♭)」

ワーグナー17歳、op.1という、フレッシュさ抜群の曲。ワーグナーは1813年ライプツィヒ生まれ。十代の頃からピアノ曲を作曲していたらしいが、ピアノのほうは運指の練習をあまりしなかったためそんなにうまくなかったという。その感じはかなり伝わってくる、まだまだ感は感ずる可愛らしい曲。曲想はベートーベンを軽くした感じ(和音の複雑さはまったくみられず古典そのものである)それもそのはず作曲された1831年はベートーベン(1770ー1827)が死んでから4年後なのであり、そんな違いないのは当然である。後にワーグナーという人が書く曲のことを想像すると、人の一生はなかなかに長いのか、それともこの人だけやたら長いのか、などという思いにふけらずにはいられない。

J.ブラームス:ピアノソナタ第2番

1852年作曲。作者19歳。2番のほうがなぜか作曲時期は先だそうな。
気迫のこもった曲である。クララ・シューマンに献呈されたことでも有名。後期ベートーヴェンソナタの偉大な背中へ憧憬をいだく小僧という風合いも伝わってくるが、フレッシュで爽やか、純粋なみずみずしい青年感は隠しきれていない。

D.ショスタコーヴィチ「ムルジィルカ」

作者14歳前後。30秒程度の超小品。

これも作者14歳前後。(レニングラード音楽院在学時)5つの前奏曲。これもアシュケナージが弾いていた。


すでに彼らしさは香る、力強いながらコミカルなタッチの曲である。構成もしっかりしており短いながら重くオーラのある曲が続く。
卒業制作であった交響曲1番もその勢いには圧倒された。最初からショスタコーヴィチはショスタコーヴィチである。

V.A.モーツァルト「メヌエット ト長調 KV1」

言わずとしれた天才モーツァルトの場合は記念すべきkv1は6歳。かわいい曲である。そのくせ妙にスキがない。これが神童の発するオーラというものか。こども用の曲集出すときもっとこういうの聴き込めばよかった。以下がその曲の動画。

と、どうやらこれが初の作曲ではないようである。

ルードウィヒ・ヴァン・ケッヘルは年代順にケッヘル番号をつけたので、ケッヘル先生曰く最初の曲であると思ったが、KV1はa~fまで6曲ほどあるようだ。

V.A.モーツァルト「アンダンテ K.1a」

こちらは5歳の頃の作品。
適当に弾いたのをレオポルトが採譜してたのだろうか?それとも自分で紙に書いていたのだろうか。借用和音的な臨時記号も登場するあたり、妙にませたガキである。

I.ストラヴィンスキー「交響曲第一番」

法学部に入学したストラヴィンスキーだが、大学でリムスキー=コルサコフの息子に出会い、その紹介で20歳から26歳まで彼に師事したストラヴィンスキー。24歳~25歳の間に作ったのがこれで、初演時にリムスキー=コルサコフから「トロンボーンが厚い」などの指摘を受けたという。確かに、3分過ぎのあたりで金管が出現するところなどは、後年のストラヴィンスキーを知っているとあきらかに不格好な厚さに聴こえる。ストラヴィンスキーもこういう時期あったんだねぇニヤニヤ、と思わせられるし、やたらとモチーフを使いまわしたりなど習作感がにじみ出ている。ただたぶん知らずに聴いたらストラヴィンスキーだと絶対に思わんだろうな。普通にメロディーあるし。わずか5年ほど後にあの「春の祭典」のような曲を初演することになるとは、ストラヴィンスキー本人も思ってなかっただろう(と思う)。
ちなみに1913年に改訂されているらしい。そのため作曲当初の改定前がどうだったのかは厳密わからない。

G.プッチーニ”Preludio Sinfonico”

言わずとしれたオペラ作曲家プッチーニが18歳であったときに作曲したとされる曲。彼は学生時代にいくつかの管弦楽曲や室内楽を書いた後はオペラばかり書く人生であった。美しく、たまに凝った和音が出てくるな、という曲であるが、取り立ててメロディが目立つ曲ではなく、このオーケストレーション技術を土台にした上であのメロディをのせてブレイクしたんであろうなと感じさせられる。ちなみに吹奏楽曲も書いており、その名も「吹奏楽のための《Electric Shock March》」電気ショックのマーチ。タイトルもふふっとなるが、曲もなんてことはない曲であった。新しいもの好きで新車買って乗り回して事故ったりする人らしく、その性格は現れてるな、と思った。

武満徹”ロマンス(1948)”

武満徹初期作品。18歳。あの「音楽以前」と言われた「2つのレント」よりさらに昔の作品。

オリエンタリズム(日本音階っぽさ)が濃厚にあらわれている。和音のどろどろ感にらしさは感じるものの、複雑かつ芳醇な後年の響きに比べると多分に浅い。ここに、フランス和声やジャズ要素を被せたらすえおそろしい熟成を遂げるのだという浪漫を感じる。

中田ヤスタカ「2つの作品」

高校生の頃の作品。(Op1と呼ぶべきかは微妙だが、一応上がっているので)勝手に湧いて来るイマジネーションは、ショウとして映えるものを意識的に掴み取る感覚に優れていると思えるし、悪く言えば拘りはそれほどなさそうに聴こえる。その後、より1音への集中力が高まっていくのだろう。

総評

いろいろな作曲家のものを見てきた。

共通するひとつ特徴をあげるなら、

「良くも悪くも基礎的な作品」

ことだろう。余計な突飛なことをしない。これは自らを恥じ入らずにはいられない。まあ、彼らもそういう余計なことしてるのも作ってたけど中2の黒歴史本と同じように抹消したのかもしれんけど・・・・。一方で、駆け出しのころの人によって年齢と成熟度はまちまちで、このあたりからどう本当の名曲につながっていったのか、想像すると、自らへのヒントにも繋がるかもしれない。と、思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?