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【エッセイ】ノスタルジーの消失

ある種のノスタルジーへのあこがれというのは誰しもが持っているはずだ。

一つ例をあげよう。
青い空に巨大な入道雲、耳に響くのは夏のセミ、誰もいない田舎の駅、ホームにたたずむ白いワンピースの少女、
ここからイメージされるノスタルジーというのは多くの人があこがれ、いざそこに飛び込めるのであれば飛び込みたいに違いない。

しかし、そうした幻想に飛び込んだ時というのはあくまで、幻想が現実に移行したことを意味する。すると、幻想にあった世界が現実としてある一方で、今ある現実の悩みやそうしたノスタルジーにあこがれを抱くまでの苦悩のプロセスも同時的に発生することになる。

会社の同僚と地方に宿泊に訪れた。そこにあるのはまさにノスタルジーとしての世界で、ここに来れば全てを忘れさせてくれるといわんばかりの景色が広がっていた。しかし、彼らとの会話は仕事の内容であり、移動の電車の中で考えたことは目先の業務やキャリアの不安だけだった。

ノスタルジーというのは、苦悩のプロセスの中で生じる一時的な現実回避的写像に過ぎない。ノスタルジーは極めて空虚で一時的な連想するまでの快楽しか与えてくれない。ノスタルジーをあこがれと類似の概念である。あこがれというのはあこがれを抱くことに価値があるのであって到達したときにはそのあこがれに対する主体的価値というのは0になっているのである。

この夏、僕の中でノスタルジーという概念が消失した。


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めちゃめちゃありがとうございます!心広すぎます(笑)
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会計士としてBIG4で金融・資産運用業界の監査・規制助言業務等に従事。ゲンロンSF創作講座第3期生。【エッセイ】【リンク集】【ビジネス】【経済学】【批評】【小説】の各項目ついて毎週末更新します!