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サッカーへの思い(小学生)

今回は小学生の頃の自分について書こうと思う。

自分は小学校1年生からサッカーを始めた。最初は、父、兄、姉の影響を受け、始めた。この頃から自分は泣き虫で少し転けただけで直ぐに泣いていた。その性格はなかなか治らなかったが今考えれば楽しい思い出でもある。

小学校では、最初の公式戦で憧れであった背番号10を貰うことが出来た。このことはサッカーを始めて1番最初にあった嬉しかったことで、今でもよく覚えている。なぜ10番に憧れていたかというと、ある選手が自分の目標であり、憧れであったし、今でもこの思いがある。

それは中村俊輔選手だ。

なぜ中村選手が憧れかというとフリーキックのコントロールとチームを引っ張る力があるところである。誰もがあんなコントロールのあるフリーキックを何度も蹴れるわけではないと思う。だが、中村選手はチャンスとなるフリーキックでは必ずキッカーとしてセットし、直接狙うと必ずといっていいほどの確率でゴールに決め、合わせるボールでも、その人の頭や足にピンポイントで合わせるボール蹴れる。ポジションは違うが、見習わなければならないものは、そのコントロールである。

そして、チームを引っ張る力はベテランならではだと思う。各カテゴリーでチームを引っ張るという役割をするのは最高学年が担っていると思う。上の年代がやるのが当たり前ではないと思うが、その姿を見せることによって下の年代が自分もと思う人が必ずで出てくると思う。そのような感じがある中村選手とプレーした選手は必ずと言っていいほど上のレベルで活躍している。天野純や小川航基がその証拠である。この2選手は海外でのプレーするチャンスを得たり、五輪代表として活躍するといった結果を残せている。結果を残せている理由としては中村選手とプレーしたことによって自信がついていることによるものだと考える。自分もいつかはそのような存在になりたいと思う。

そして、フォワードとしてサッカーを続けていたが、小学6年の時に人生で初めてとなる決断をした。それはゴールキーパーへの転向である。始めるきっかけとなったのは2つの理由がある。           

1つ目は、自分達の代のチームにゴールキーパーがいなかったことだ。サッカーにゴールキーパーは必ず必要だ。そこで自分が立候補してやらせてもらえるようになった。ここから自分のキーパー人生が始まった。                                                        

2つ目は、たくさんの試合に出たいと思ったからである。フォワードとして試合には出場させてもらってはいたが、なかなか結果が出せずに悩んでいた。そんな時に最高学年となり、1つ目の理由で書いた状況になった。ここでポジション転向することで少しは活躍できる場所が見つかるかなと思い転向しようと思った。                 

そうして始まったキーパー人生だが、負け続けた日々でした。ですが、自分の中で今でも心に残っている試合があります。その試合は小学校の最後の試合でした。僕はゴールキーパーではなくてフォワードとして出場させてもらっていました。その時は自分で言うのはなんですが、スピードにのったドリブルは止められる気がしていませんでした。その日もドリブルも沢山しかけていました。前後半かの記憶は曖昧ですが、相手の裏を取ってから、右サイドをドリブルで突破して1人抜いた瞬間にゴールを見た瞬間キーパーの身長が低かったのはわかっていたので、上をぶち抜けば入るかもと半信半疑で打ったら入った。それが自分に取って人生でのベストゴールの1つになっている。あんなに綺麗に決まったゴールは決めたことがなかったので今でも印象に残っている。                              

次に書くことは中学時代のことになると思うので、また書く時に

長々と読んでいただきありがとうございました。


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