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”幸せのパーソナライズ化”の世界線で生きて、信用経済から”ラボラトリー経済”の入り口へ

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。本日は”専門的没入”から少し離れ、私自身の話を少ししてみたいと思います。というのも今回の自粛生活も相まって、自身の棚卸しを行う機会があったのですが、思い返してみると、政治や経済、文化や社会などについては散々語ってきたものの、私自身については殆ど触れてこなかったからです。そして、社会情勢の悪化から、不安を抱えている方も多い中で、ほんの少しでも、何かのきっかけを提供出来ればと、拙いながら、本稿を綴りたいと思います。

信用経済への既視感

 ”信用経済”という言葉が市民権を得て久しいですが、その実は信用の本質からは離れ、フォロワー数を追いかけたり、再生回数を追いかけたり、まるで暗号通貨のボラティリティを追いかけているかの様相を呈してしまっています。この事象を凄く近代的だと感じていて、脱貨幣経済の先にあったはずの信用経済が、分かりやすい ”数値” との親和性の高さ故に、ボラティリティと数値マウントと平均化の世界線に入ってしまった印象があります。抜けた筈の世界線から既視感を抱きつつ眺めているかのような心持ちです。KPIを数値とし、平均化された知識や方法論を語る世界線のその先に、botと人類の境界や個人の信用が付加される世界線が、果たして繋がっているのか。こうして社会構造を俯瞰してみると、社会へリーチする為の商品(コンテンツ)を提供することは確かに重要なのだけれど、経済システムのフェーズとしては数量ではなく, ”誰が” に移行していることが、垣間見えます。


幸福のパーソナライズ化とラボラトリー経済

 特に感染症により、技術革新がドライブした今般は、省人化が加速し多くの余剰人材が旧社会制度と新社会制度の狭間に溢れる時代を迎えようとしています。このような時代の過渡期では、数値化された同調性の強い集団から、働き方だけではなく、個人の幸福論までをもパーソナライズした世界観へと、変容が求められます。例えば、結婚や高収入、マイカー、マイホーム、高級ファッションなど可処分所得の循環を目的に構築された、高度経済成長期の幸福論が昭和、平成と続いていました。しかし、都市構造すら否定された現代では、所得や数値に囚われない ”あなたが本来、求めている幸福” を実現するフェーズへと向かっています。それが、”幸福のパーソナライズ化” です。

 そして幸せが、個人単位の小さな世界観で成立するようになると、従来のように都市生活である必要も、企業に勤め続ける必要もなく、同じ幸福論や目的を共有する、個人同士の少数チームで生産活動が成立するようになります。それは、オンラインサロンの潮流を鑑みても明白でしょう。但し、オンラインサロンすら、既に個人が目指す必要性はなく、飽くまでも小さな個人の範囲に於ける”チーム”で良いのです。企業でも、個人でも、オンラインサロンでもない、余剰人材が溢れるこれからの世界で、目指すのは個と個の接点であり、あらゆるリソースシェア、レベニューシェアによるチーム。それが、”ラボラトリー経済” です。

 このように考えると、blogやTwitter、商品などのコンテンツを通して数値や情報を切り売りするだけではなく、幸福のパーソナライズがされた自身の ”レーゾンデートル” を発信することにより、本来ある”個人の信用経済、ラボラトリー経済”へ至れるのではないでしょうか。

 

レーゾンデートル

 レーゾンデートル(存在価値)、というと哲学や思想的な要素に感じますか、本来は現実社会のイシュー(論点、課題)へ直結している要素だと考えていて、私の場合は明確に ”想像したものを社会実装するインターフェイス” でありたいと思っています。つまり、人が抱く空想を現実社会に焼き落とす作業が自身の役目だと考え、多角的事象観測を言語化したり、友人の”やりたい”を事業化したり、ライフデザインについて相談に乗ったりしています。

 実現可能にするためのメソッドはネット上に、いくらでも存在していますが、全体最適解でしかなく実用化をするには、こちらもパーソナライズが必要で、その辺りを調整し実現するインターフェイスの役割は”人間が行う価値がある作業だ”と感じます。そして以前、”発酵経済と五感的解像度"というコラムでも書きましたが、五感での肌感や空気感を再現する解像度や、生産消費サイクルではなく、発酵させるように時間の蓄積を価値とすることに、思考の主眼を置きつつ、単純にアートとしての心地よさを大切にすることが、幸せさを感じる瞬間かもしれません。

 私にとっての”幸福のパーソナライズ化”は, ”五感的解像度の再現性” と ”アート的心地よさ” にあるのでしょう。

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Photo by 黒川 和嗣

イシューと幽玄的心地よさ

 経営であっても、マネタイズは必須でキャッシュフローが無ければ意味がないことも事実ですが、ではキャッシュが稼げれば何でも良いのか、と問われると、そこにはそれ程に興味がないものです。おかげでババを引くことも多かったのですが。。。キャッシュを稼ぐことは良いことです、けれど社会に内包するイシュー(課題)も大切だと思っていて、その上に自身のアート的直感の心地よさを乗せている感覚です。

 例えば観光業には注力していて、人口減少が進み消費経済のロジックが通用しなくなった日本にとって、伝統や文化を再定義する”発酵経済”は日本の成長戦略として重要な要素だと考えています。詳しくはまたの機会としますが、ただ単に、工芸品を海外に転売するのではなく、そのカルチャーや地域、歴史の積み重ねそのものを経済圏として再構築し、国内外、更には仮想空間にすら提供するイメージでしょうか。日本各地に眠る五感的解像度と発酵価値の高いコンテンツを、アナログ、デジタルの境界を消して相互補完をするものです。

 ここで重要なのは、過去や古いものを否定して更地にしたり、余剰リソース(人材や地域)を自己責任論で切り捨てるのではなく、現代技術と組み合わせて”新たな市場”を構築し、既存のリソースをポジティブに活かすことが大切だということです。これは市場原理の視点でも、切り捨ててしまうと社会の”負債”になってしまいますが、活かせるツールや受け皿を作ると”資産”になるので、単純に感情論で”捨てる、救う”というロジックではないものです。人口減少と余剰リソースの二方向に於ける課題を解決することが出来るならば、これ程、私にとって興味深い挑戦はありません。

 

 本日はここまでです。少々、一稿でまとめるには情報量が多すぎたかもしれません。本来であれば各項目毎に分けるのですがnoteは、blogやTwitterより更に深い角度で掘り下げる場を目指しているので、ご了承頂ければ幸いです。ただ、本稿を通して伝えたいポイントは明確で、今、社会不安が増している世情では、あなた自身の ”幸福のパーソナライズ化” を意識し、自分にとっての”心地よさ”と対話をしてみると、見失いかけていた軸を取り戻せるかもしれません。また、こうして私の価値基準を、皆さんに知って頂けることで、私が発信するコンテンツの視点、軸足がより伝わるのかなと、思っています。これからも一緒に ”多角的事象観測” を続けて行ければ、それも一つの”幸福”です。
 

今、不安を抱える全ての人へ。

”幸せのパーソナライズ化”の世界線で生きて、信用経済から”ラボラトリー経済”の入り口へ。


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