見出し画像

【話し方】コンテンツ VS デリバリー あなたはどちらを重視する?

「話し方」を大きく構成する要素として、

  • 伝えたい内容=コンテンツ

  • その届け方=デリバリー

があることを前回お伝えしました。

二つとも欠かせない要素であり、互いに依存し合っている関係です。ところが、今回はこの二つを敢えて対抗軸として設定し、「話し方」において、どちらを重視すべきかという議論をしてみたいと思います。

ところで、あなたにとって「話の上手い人」って誰ですか?
ぜひ少し考えてみてください。

ご両親でしょうか?知人や友人、あるいは同僚や上司にいますか?または著名人でしょうか。

私が尊敬するのは、古舘伊知郎さん、福留功男さん、松本秀夫さん、安住紳一郎さん、恵俊彰さん、友近さん、神田伯山さん、春風亭一之輔さん、成毛眞さん、野田佳彦さん、入山章栄さんら、挙げればキリがありません。僕のキャリアとしての性ですが、アナウンサーをはじめ芸能界から大学教授・政治家まで、話す力を武器としているプロ中のプロに関心が向く傾向があります。

いずれにしても、あなたがイメージする人物に共通するのは、話す内容に独自性があって面白く、なおかつ喋りの技術も高い印象を持っているのではないでしょうか。コンテンツもデリバリーも高い次元でバランスが取れていると評価していると思います。

しかし、敢えてコンテンツかデリバリーか、話の上手さを評価する際に序列をつけるとしたら、あなたはどちらを重視するでしょうか。正解はありませんが、ぜひ立ち止まって考えてみてください。

では、僕の結論を出します。

僕は敢えてデリバリーに軍配を上げます。

話の内容自体は、話す以外の伝達手段を通しても、その着眼点のユニークさや面白さ・主張の鋭さといった評価をすることは可能です。例えば、安住紳一郎さんがTBSラジオで毎週日曜日にパーソナリティをしている「日曜天国」の名物コーナーであるオープニングトークは、しばしばスポーツ紙のWeb記事に安住さんの発言が引用されて掲載されています。引用なので、安住さんの発言が忠実に再現されているわけですが、文字で読んでも十分に面白さが伝わります。パンダや醤油、切手の話題など、安住さんの興味関心領域が独特なのに加えて、解釈や分析にも独創性が溢れているので、文字情報だけでも十分に楽しめるのも事実です。だからこそアクセスも多いのでしょうし、Web記事にしたくなる媒体の動機は分からなくもないです(コタツ記事の是非はここでは置いておいて)。

しかし、面白い内容だからこそ、どうやって話したのかが気になりませんか?実際にradikoのタイムフリーで聴くと、記事を読んで想像した話し方を良い意味で裏切るような豊かな表現力を駆使していることが分かったりすることがあります。より内容が伝わる。話し手の口調や息遣いを感じたり、プロならではの話し方の技術が織り込まれることで内容が増幅して伝わってきます。実際に本人が話をしているシーンに触れることで、文字だけでは二次元だったものが三次元になるような感覚です。

スティーヴ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業生に向けた祝辞のスピーチはあまりに有名ですが、これも文字で読むだけと、実際に聴くのでは印象が変わるし、感覚的に脳に対するインパクトが決定的に違うはずです。

やはり、話し方については、内容が良いことは前提条件の一つであり、どうやって届けたのかを重視せざるを得ません。

身近な例に置き換えましょう。僕自身も営業(法人営業)の仕事をアナウンサーとほぼ同年数経験してきましたが、定型に近い情報発信を口頭でおこなうシーンが業務で一定程度あるはずです。社内定例会議での報告、クライアントへのサービス内容の簡単な説明などです。こういった類の報告や説明は、内容にさほど独自性を求められないため、誰が伝えても良いので部内でローテーションで担当することが多いのではないでしょうか。失敗をするリスクも失敗した場合のリスクも大きくないからです。しかし、顧客企業の役員クラスに商品プレゼンをする、業界の大型カンファレンスで自社のケーススタディを説明する、といった際には伝える人は誰でも良いとはならないでしょう。自社にとっても大きな機会となり得るような舞台には、会社の中でも役者が必要になってきます。そして、その役者に共通するのは、話しの届け方が会社の中でも上手い人であることが多いでしょう。そして、その役者たちは、同じような機会がある度に、プレゼンやスピーチの”主演”候補として名前が挙がっているのではないでしょうか。

話の届け方に長けた人は貴重で、会社の顔となり得る存在感を自然と出していくことになると考えています。落語や講談は顕著な例です。演目という定型の噺(コンテンツ)があったうえで、それを誰が演じるのか(デリバリー)が客にとっては大切だったりします。オーケストラも似ているかもしれません。演奏する楽曲(コンテンツ)が何かも大切ですが、詳しくなるほど指揮者と楽団(デリバリー)がより重要なファクターになるでしょう。

世の中にはデリバリーの重要性を日常的に感じるシーンがあると考えています。気づいている人もいるでしょうし、そうでなかったとしても、自然とデリバリーを重視しながら様々な選択しているということです。

僕は研修で、「話し方を磨くことは、本人の魅力を開放し伸ばすことだ」とお伝えしています。とりわけ話の届け方(デリバリー)は、その近道になります。内容を磨き上げることよりも、すぐに取り掛かれることが多く、課題がある人ほど改善の余地が大きいので、上手くなるインパクトを作りやすい。

加えて、コンテンツは生成AIのアシストの恩恵を受けやすい面を今後は考慮していきたいところです。講演など、ピュアなオリジナルか、少しでも生成AIの力を借りて作ったものなのかの区別を付けるのは困難です。ピュアだから希少というものでもなくなっていくでしょう。構成が苦手な人であれば、言いたいことを箇条書きして、構成をAIに組んでもらうことで、聞き手に伝わりやすくなるのであれば、むしろ積極的に活用しても良いと思います。一方で、AIの力を借りにくい独創性あふれる人間らしい発想力や体験エピソードのようなものが評価される時代に益々なってくると思います。

デリバリーは、生身の人間である本人が話すことに価値があるため、まだ生成AIの影響を受ける予感があまりしません。その意味で、デリバリーの時代がやってくると見ています。極端に言えば、何を話すかよりも誰が話すかが重要になってくると考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?