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神田川散歩

午前中の仕事が終わって歩きに出た。
風は少し冷たいが青空で気持ちのいい陽気である。

仕事場兼自宅から坂を下ったところに神田川がある。
川の両側には遊歩道が設けられていてそれに沿ってのお散歩タイムだ。

欄干から見下ろせば水は思いのほか静かで、川面はガラスのようにじっと青空を映していた。
身を乗り出して川底をのぞいくも、藻が黒々とみえるだけで、そこには命の気配がない。

少しがっかりして歩き進める。
すると向こうの浅瀬に白い点が。

近づくと

サギ!
立派な・・う~んこれは長いあごヒゲか胸毛か?

きっちり固められたコンクリートを背に
サギの白がまぶしい。

意外な遭遇にちょっとうれしくなる。

すぐ近くには甲州街道と首都高が走っているのに
遊歩道の空気は穏やかである。
ランニング中の人が通り過ぎて
荒い息遣いだけがとり残される。

ふと思う
いまこのひととき
この国にいて
明日の生き死に心を奪われていないこと
なんて平和な環境に私はいるのだろう

井の頭通りに折れて大通りに出る。

上を走る首都高速で甲州街道はたいてい暗い

この甲州街道に沿って少し歩くと大学があって、新しく建て替えられた校舎のガラス窓が、まぶしいばかりに太陽の光を反射させている。

学生たちがグループでおしゃべりをしながらゆっくりと歩いて出てくる。
駅に向かって道を渡ってゆく。

かつて私も
彼らのように時を過ごしていたことがあった

当たり前のように生きていた
当たりまえに生きていることが
あまりに当たり前だった


たとえばもし、この学生のひとりが甲州街道で交通事故にあい亡くなったとしたら。
たとえばもし、この学生のひとりが戦争中の国に行って自分も闘ってくるといったら。
たとえばもし、この学生のひとりが闇で腎臓をひとつ売ってくれないかと言われたとしたら。
たとえばもし、今大地震が起きてこの首都高が頭の上から崩落してきたとしたら。

ほんとうに
人の命の重みというものは
時代と場所によって
まったくもって
ちがうものだなと思う

いやんなっちゃうくらい
理不尽に

そんなことを考えながら学生たちの後に付いて街道を渡る。


さて、今日の散歩の目的は実は

おせんべいを買うこと

お店は甲州街道を渡ってすぐのところにある花見煎餅。

すみません
返事がない
すみませ~ん
返事がない

す~み~ま~せん!!!
やっと奥の方で音がする

まるく縮まったおばあちゃまが出てきた。

ごめんなさいね、お待たせして

そして私が買うのは自家製と書かれた

おこげせんべい。

カナダにいるときは時折、スーパーのグルテンフリーのコーナーでパスタやクッキーを買っている。あるとき
Rice Cracker(ライスクラッカー)
のパッケージを見つけて思わずショッピングカートに入れた私。
ふと
これっておせんべいのことじゃない?
わざわざカナダで買わなくったって日本に戻ればたくさんあるだろ~!

そんなわけで日本帰国中買うものリストにあげたのが

おせんべい

お醤油味も香ばしいこの花見煎餅のおこげせんべいを、いっぱい買ってカナダに持ち帰るつもりである。

日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。