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サポーターはサッカースタジアムで何をするべきなのか?

【日本vsキルギス】の試合を見ていて、日本サッカーの問題点がわかりやすく現れていたので、ここに解説したいと思います。

まずは下の動画をご覧ください。この動画内で見える現象は、これまでの日本代表の試合でよく起こっている現象です。

私はサッカーにおいて、最も重要な要素の1つに「サポーター」を必ず挙げています。そういう考えを持っていますから、これまであらゆる国・リーグのサポーターを観察してきました。もちろん、Jリーグも、日本代表もです。その中で出た、1つの答えがあります。

世界のサッカースタジアムでサポーターが行っているのは、応援ではない。

ここでいう「世界」とは、つまり日本よりもサッカーで多くの勝利を上げ、日本よりも遥かに長い歴史をもち、私たちが追いつこうとしている国々のことを指します。


■「応援ではない」の意

少なくとも【日本vsキルギス】戦で日本代表のサポーターが行っていたのは文字どおり「応援」であり、世界のスタジアムで行われているものとは「似て非なるもの」だ、と私は認識しています。

その「違い」が最も明確に現れるのが、

「レフェリーへの反応」です。

例えば、前半38:35〜40辺りの映像を見てください。杉本健勇選手が相手DFに倒されたシーンです。彼はそのプレーが「ファールである」と判断したため、レフェリーに対して「アピール」をしています。しかし、日本サポーターは「一定のリズム」「応援(エール)」をし続けているため、プレーが流れます。

このプレーがファールなのかそうではないのか、またスタジアム(サポーター)が「アピール」をしたところで判定が変わっていたかどうかはわかりませんが、「アピールをすること自体の重要性」が存在しています。それについては後述します。


■いかに重要なシーンか

このシーンは「ゲームの勝ち負けを決めていた」可能性のあるシーンです。日本代表がボールを持ちながらゲームを進めていた展開において、このようなシーンで後ろ向きにボールをロストする(相手は前向き)状況は、ゲームを決める可能性があります。現にこのシーンでは、杉本選手がロストした後、自陣ゴール近くまで攻め込まれています。さらにレベルの高い相手であれば、失点をしていた可能性は十分にあります。

前半を2-0で折り返すのか、2-1で折り返すのか、サッカーというスポーツにおいて、そこには雲泥の差があります。38分という危険な時間帯でのこのプレーは、文字どおりゲームの勝敗を決めていた可能性があるのです。


■アピールの必要性

「審判に文句言っても判定は変わらないのだから、アピールなんてしていないでプレーを続けろ」
「サポーターが審判の判定に抗議をするのは醜い」

このような言葉を、日本サッカーではよく聞きます。しかし「勝負」としてサッカーを捉えるのであれば、このような認識は「不利な状況を招く」と言わざるを得ません。

前述したように「ファールをもらうかもらわないか」は、ゲームを決める重要な要素だからです。


■なぜ「アピール」が必要なのか

私は、サッカーというスポーツにおいて「ファール(審判の判定)へのアピールは一つの重要な"プレー"である」と認識しています。審判に(全く)アピールをしない選手を私は信用しません。それは「サポーター」も同様です。「ファールへのアピールは卑怯だ」という認識を改めない限り、日本人が世界に勝つことは難しいと私は考えています。

では、なぜ「アピール」が重要なのか?について、理由を3つ上げていきます。


①ファールをもらうため

一つ目の理由は、当然「ファールをもらうため」です。これは卑怯に聞こえるかもしれませんが、決して卑怯なことではありませんし、スポーツマンシップに反した行動でもありません。それは、前述した杉本健勇選手の例のように「(勝つためには)ファールをもらわなければならない場面」が多くあるからです。それは、試合を分ける、そして試合の流れ(テンポ)を変える、大事な、大事な要素であり、また選手が自分の身体を守るためにも大切な行動です。

※シュミレーションとは違うものであることはこの時点でご理解ください

そしてこの重要な"プレー"は「選手一人では意味のないものになる」ということを知る必要があります。スタジアム(サポーター)全体で「パワー」を出さなければ、杉本選手のような状態(選手が一人でアピールしている状態)になり、レフェリーが動かないばかりか、次のにも影響を与えてしまいます。

※前半38:35〜40をチェックしてください


②その後のプレーに影響を与えるため

「審判に文句言っても判定は変わらないのだから、アピールなんてしていないでプレーを続けろ」

確かに、判定は変わらないかもしれません。ただ重要なのは「その判定」よりも「その後への影響」であることを知らなければなりません。

ファールを犯した選手には「自覚」を与える必要があります。その役割を担うのがスタジアム(サポーター)です。サッカーには、同じようなファールを数回すると警告をもらうルールがあったり、警告を2枚もらうと退場になるというルールが存在します。その中で、プレーヤーは「ファールをするかしないか(ファールをしてまでも止めるべきか否か)」を考えながらプレーをしています。

もしも、ファール(もしくはそれに近いプレー)をしたのにも関わらず、選手、またはスタジアムが「アピール」をしなければ、それを犯した選手は「自覚」をすることがありません。逆に、もしも自分のプレーで「スタジアム全体が動いた」としたら、その選手は次のプレーに影響を与えられます。例えばそれによってプレー消極的になったり、強くチャージにいけなくなる場合もあるでしょう。

私はそれを「ファールの自覚効果」と呼んでいます。この選手、そしてレフェリーの「心境のズレ」「サッカーの勝敗」を分けます。


■選手の記憶

「ファールの自覚効果」は、その試合のみではなく、それ以降「同じスタジアム」で試合をする際にも影響を与えます。選手はスタジアムの雰囲気を記憶するので、「プレー時の心境のズレ」はシーズン、またはそれ以上に渡って影響を与える可能性があります。科学的には証明が難しいかもしれませんが、明らかな事実です。


③ゲームに「テンポ」を作るため

サッカーには「テンポ」「リズム」が重要であると私は考えています。それぞれの(私の)定義は以下の通りです。

テンポ:集合体が作り出すもの
リズム:個体が作り出すもの

例えば、選手個人(個体)が持っているのが「リズム」で、チーム(集合体)が持っているのが「テンポ」です。1つのプレー(個体)が持っているのが「リズム」で、試合全体の流れ(集合体)が持っているのが「テンポ」であると言えます。

この「テンポ」と「リズム」を考えるにあたって、最も重要なポイントは、

「テンポ」と「リズム」が一定なサッカーは勝てない

ということです。説明するまでもないと思いますが、一定の「テンポ」と「リズム」では、相手の「時間」をズラすことが出来ないので、敵が守っているゴールを奪うことは出来ませんし、相手が異なる「テンポ」と「リズム」でプレーをしてきたのであれば、対応が出来ません。

自チームの「テンポ」と「リズム」で試合を進める

というのが、サッカーにおける(勝つための)目的の一つと言えます。それをより実行するために、例えばペップはボールを持ちたがります(と私は解釈しています)。


■サポーターが作る「テンポ」と「リズム」

サポーターは、この「テンポ」と「リズム」に影響を与える大きな要因です。私がサッカーにおいて「サポーター」を重要な要素であると考えているのは、これが理由です。

サポーターテンポ:どのプレーに反応するか・どのようなタイミングで歌うか etc...
サポーターリズム:応援歌(チャント)

スタジアムは、サポーターが決めます。日本代表の試合の場合は、常に一定のテンポで「応援」をし、一定のリズム(応援歌)で「応援」をしてしまっているため、「スタジアムが生きていない」のです。

私はサポーターが「反応しなければならないもの」の一つに「レフェリーの判定」があると考えています。世界中どこを探してもその場面で「テンポを作れない」のは、日本のサポーターだけかもしれません。

そこには「審判への抗議はスポーツマンシップに反する」という概念があるからでしょうか?


■何かを求めている人間は

例えば、あなたが誰かに頭を押さえつけられ、水の中に顔を埋められているとします。あなたは、身体を動かし、抵抗をし、必死に「空気」を欲すると思います。サッカーの世界は「勝利が欲しい選手・チームとサポーター」で溢れています。それは、呼吸が出来ない時に「空気が欲しい」と思う気持ちと、全く同じです。空気を欲するように、勝利を欲する人々ばかりなのです。

世界のサポーターは、ファールの判定がゲームを決めることを知っているからこそ、選手とともに「アピール」をするのです。僕はその行動はあってしかるべき(監督・選手・サポーター含むすべての人)であると考えているので、決して「アピールをすること」がスポーツマンシップに反するとは思いません。

サッカーの世界で日本が勝つのであれば、必要なディティールであることは間違いありません。


■応援は報われない

「声を出して、励まし続けて、何があっても、一生懸命歌って選手を励ますんだ…」という「応援」の考え方は、残念ながらサッカーの世界では報われないと思います。では、世界のサポーターは何をしているのでしょうか?

世界のスタジアムにいるサポーターは「応援」をしているのではなく「一緒に戦っている」

これは比喩ではありません。本当に戦っているのです。そして、勝敗を決める存在であるのです。

「一緒に戦う」とは、常に厳しい目でチームを見て(チームは厳しい目で見てくれる"誰か"がいないと転落していきます)、ダメな時はダメと言い、要求をし、その上でスタジアムでは選手とともに「テンポ」と「リズム」を作り、「ゲームを動かす」ことです。

それこそが、サッカークラブにおける真のサポーターだと私は思っています。


■同じ温度

最後に、最初に見ていただいた動画を見てください。南野選手は、PKを要求しています。しかし、サポータは「アピール」をしていません。日本代表のサポーターは「応援」はしているかもしれませんが、南野選手と「一緒に戦っている」とは言えないのです。

海外のスタジアムで試合をする日本人選手が、日本のスタジアムで試合をした時に「違和感」を感じていることは、私はほぼ間違いないと思っています。サポーターは、選手と「同じ温度」であって欲しいと、僕はそう思います。

サポーターは「12番目の選手」ですから。



筆者:河内一馬

92年生まれ。アルゼンチン指導者協会名誉会長が校長を務める監督養成学校「Escuela Osvaldo Zubeldía」に在籍。サッカーを"非"科学的な観点から思考する『芸術としてのサッカー論』を執筆中。
Twitter:ka_zumakawauchi


【告知】

日本への一時帰国に合わせて、12月19日に行われるイベントに登壇させていただくことになりました。今回記事に書いたようなことに関しても、僕なりの考えをお話できればと思っております。

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