流しではなく、シンガーソングライターとしての稲田一馬が戻ってきたぞ
2012年に、シンガーソングライターとして本格的にライブ活動を開始しました。
とにかく上へ行きたくて、自分の音楽を伝えたくて、13歳の頃に掲げた「音楽だけで生きていきたい!」夢を叶えたくて、ギター持って走り出したのが今から8年前です。
器用なほうではないので、
作った歌はほとんどが自分の想いを語るものばかりでした。
何年経っても、30代に突入しても、結局納得のいく結果が出せず、私はライブステージを降りました。今から2年前の話です。
流しへ転向し、ついに独立することができた
自分の実力を考え、武器を考え、お客さんのことを考え、世間の動きも見て、私は一切のライブを捨て、流しの道を選びました。
後が無かった私は、とにかく結果にこだわりました。いわゆる”お金”ですね。もうそんな悠長なことは言ってられない。
人間やればできるじゃないかと後悔するほど全力でぶっ飛ばし、昨年の夏、私はアルバイト地獄から抜け出し、独立することができました。
ライブが嫌いになったから辞めたわけではない
私が流しの道を選んだのは、何もライブが嫌いになったわけではありません。独立するにはそれしか思いつかなかったからです。
私は今でもライブ共演者に負けたとは1mmも思ってないし、曲だって自分なりに一生懸命作ったもので、CDも未だ揺るぎない自信作です。
「新曲」に本腰を入れたのは本当にここ最近の話
流しに明け暮れていた頃は、ほとんどと言っていいほど新曲を作っていませんでした。
とにかく曲を覚えて、とにかく練習。その一点突破でした。
しかしコロナで時代が一気に加速し、オンライン上で「カバー曲」を演奏するアーティストが爆発的に増えました。
コロナが溶けて、いずれ流しのようなアーティストが現れてもおかしくないでしょう。私はそう感じました。
それなら今こそ「新曲」を作ろう。
ライブに明け暮れていたあの頃に戻ろう。
流しのような「カバー曲」に世間が傾いているってことは、自分で音楽を作る「新曲」はきっと手薄になる。
そこで私は療養生活終了後と共に、曲作りへシフトチェンジしました。
シンガーソングライターの血がまだ残っていた
曲作りなんて2年ぐらいご無沙汰だったんで、筋力も勘(カン)もだいぶ衰えていました。
だけど、99%が生きていけないと言われている音楽界で生き残るには、少なくとも人と同じを辿ってはいずれやられます。
そこでリハビリも含め、ここ最近は毎日新曲を作って配信しています。
しかし今日。たぶん毎日配信して14日目ぐらい。
いよいよ苦しみを感じ始めました。そう、産みの苦しみです。
おもしろさ、クオリティー、キャッチーさ、インパクト。フィクション、ノンフィクション、憑依、情景、世界観、ファンタジー 。
色々頭を巡らしましたが、今日はどうも昨日までのような作り方ではしっくりこない自分がそこにいました。
苦しい。だけど時間がない。夜は流しもある。こんなところで毎日新曲配信を終わるわけにもいかない。
何を作ろう。どんな曲にしよう。
最終的に辿り着いたのは、”産みの苦しみ”をまさに今感じているそのまま想いです。なので曲名も「産みの苦しみ」。
いつもは平均Take10ぐらい収録するのですが、今日はTake2で配信しました。何故なら、言葉に体温が乗っかっていたからです。
久々でした。シンガーソングライターだったあの頃を思い出しました。まだまだ私はやれることがある。
またひとつ、成長できそうです。
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Amebaブログ「稲田一馬の左脳」(毎日更新中!)
夢や自由を語るこちら(note)とは真逆で、主に「戦略」を語っています。
これからもぶっ飛ばします。良かったらぜひ!