人に嫌われる利益、人を嫌いになる不利益
人に嫌われるというのは決して気持ちのよいものではない。
物心ついたときから、集団に所属してきた僕たちは、その集団から仲間はずれにされること、そして嫌われることの恐ろしさを知っている。
これは意識して克服しようとしない限り、解消されることのない無意識のものだ
このことは決して悪いことだけではない。
人にただ迷惑をかけるような行為を大人がしなくなるのは、この社会のモラルが無意識のレベルで染み付いているからだ。
道路で遊ばない
レストランで騒がない
ゴミを道に捨てない
まあ、守れない大人もいるが、、、
嫌われるのはあなたが悪いからではない
さて、本題
この「嫌われる」ということの恐怖から、一歩踏み出すことのできない人は多くいる。
これがメンタルブロックであり、そこを克服しない限り他の人と違う道は歩めない。
重要なのはその先だ。
この「嫌われる」というのは単なる思い込みではなく、やがて事実になる。
他の人と違う挑戦を続けていくと、そこにはそれを嫌う人が出てくる。
これは事実なのだ。
このときの対処法で大事なのは、まず仕分けである。
「嫌い」がどこから来るのか?である。
この「嫌い」の中で、自分が気にするべきなのは一つだけだ。
「その人を傷つけてしまったから嫌われたのか?」
もし、その場合はよく考える必要がある。
誰も傷つけないというわけには行かないときはあるけれども、自分が注意することで回避できた場合は、今後に活かすことができる。
また、傷つけたという自覚がある場合は、きちんと自分から謝って関係修復もできる可能性がある。
しかし、世の中のほとんどの「嫌い」はそのケースではない。
ほとんどの嫌いは「嫉妬」か「暇つぶし」だ
学校のいじめを考えればわかる。
本当にいじめっ子を傷つけてしまい、そこから報復されていじめられるケースは少ない。
殆どはいじめっ子の一方的な「嫉妬」もしくは、「暇つぶし」なのだ。
そして、これらはいじめられる方には全くコントロールができない。
これが、いじめられる方に原因があるというケースが限りなく少ない原因だ。
さて、ではどうすればいいか?
答えは、とにかく距離を置くことだ。
自分がコントロールできない対象で、自分に不利益しかもたらさないのであれば、距離を置くことしかない。
対処しても、火に油を注ぐだけである。
人を嫌いになる不利益
そしてもう一つ重要なことは、その人達を「嫌わない」ことだ。
人を嫌うということは凄くエネルギーのかかることだ。
嫌うということはその人のことを強い関心の中に置くことであり、そればつまり「好き」と同じくらいの力を持つ
自分の利益のない人にそれだけの関心を持つことに意味があるだろうか?
そして、その人達を嫌いになればなるほど、自分の頭はそのことでいっぱいになる。
間違っても、報復してはならない。
報復すると、その一瞬の自分のエゴが満たされるだけで、あとはまた新しい憎しみが帰ってくる。
人を嫌いになることには、全くの利益がない
人に嫌われることの利益
しかし、嫌われることには利益がある。
それは、「嫌い」は「好き」にもなりうるからだ
少女漫画の最初が「大嫌い」から始まり、それが大好きに変わるのと同じ、強い関心があることの裏返しだ。
ということは、
自分に対して「嫌い」を向けてくる人は、それが「好き」になる可能性もあるのだ。
なぜなら強い関心を向けてくれるから。
そして、そういう人はこちらから距離をとっても、追いかけてきたりする。
「強い関心」があるからだ。
じゃあ、自分が不利益を被らない距離をたもち、自分は嫌いにならなければ、自分のエネルギーを浪費せずに住む。
一方で、自分を嫌う人は強い関心を向けてくれている。そして、それは多くの好きを後押しする。
嫌われることは、その人達を傷つけた結果の場合を除けば、とても利益のあることなのだ。
まとめると、
嫌われることには利益しかない
一方で人を嫌うことには不利益しかないのだ。
どのことを心に留めておきたい
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