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自分とは? [缶詰30日目]

 キーホルダーを外した鍵だけをもって外に出る。できるだけ手ぶらで散歩する。今日はこの道通ってみよう。いつも異なる経路を通るようにしている。小学4年生ぐらいの少年がホームから出発する電車を撮っていたり、カラスが麦わら帽子みたいな円形のトレーを咥え、ゴミステーションから"ケンケンケン"と出てきていたりと、今日も新しい出会いがあった。

 一方で、散歩途中には「もう一人の自分」が現れる。最近、自分のやりたいことが分からなくなってきた。大学時代の生活が思い出せない。何をして4年間生活してきたのか。自分は何者なのか。そんな有象無象のまとまらない感情を机上で解決するには能力が足りない。そういうときに「もう一人の自分」に尋ねてみる。今日の答えはこうだった。

 「数学、化学、物理などの論理的な学問体系に内包された近似、文脈、感情、デザインなどの非論理的に語ることができるもの、ことが好き」だということ。


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シュレーディンガーの猫  (wikipediaから引用)


 例えば、アインシュタインから連想される量子力学といった分野では、物体を非常にマクロな視点で捉えると、物質は「粒子であり、波でもある」という不思議な状態を考える。その状態を的確に捉える方程式を「シュレディンガー方程式」というのだが、単純なモデル以外で厳密解が求められない。そのため、近似に近似を重ねて、理論解と実験解を比較することで理論の妥当性を評価する。

 異なる近似法を用いてコンピュータに解かせると、計算時間や分子構造、相互作用の仕方など違った情報を映し出す。「近似解は、本質ではない」と考える人もいると思う。私もそう思う。しかし、その近似を行う過程の中に、小説の行間のような空間が存在する。たかが近似のために、数十年数百年を過去の偉人たちが費やす。それを当たり前のように、教科書では「1つの式」として取り扱う。まさに巨人の肩の上に立つ。

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分子のかたちと集合
(https://sites.google.com/view/shizuoka-chem-kobayashi)

 研究分野でいけば、有機化学なんて「デザインの宝庫」である。実際に、原子に色が浮いているわけではないが、視覚的にわかりやすいように、多くの論文で分子が鮮やかに表現される。構造にしても直線にしたり、円を描いたり、モーターを作ったりと自由度がとても高い分野で研究しているということを「もう一人の自分」が教えてくれた。

 論理的に思考しつつも、非論理的な方法で答えを出す。「化学なデザインを追及する」これが今日からの指針になった。


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