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感情から幽体離脱したいって話

余裕がなくなってイライラする時、
急に不安になってソワソワする時、
怒鳴られたりしてドキドキする時、

僕らは感情という厄介なものに支配されることがある。
「感情」とは何だろう。

まず、感情はどこから感じるのだろう。
身体的苦痛は、損傷などを受けた場所から感じる気がする。
精神的苦痛はどこからだろう。
僕は心臓の鼓動によるものだと思っている。
心臓を掴まれる思いだとか、何とか。
感情によって感じる場所が違う気もする。
怒る 、頭の中がフワッと白くなる感じ。
喜ぶ 、胸が高鳴る感じ。
不安 、心臓の鼓動が不規則になる感じ。
様々な感情は人間の身体のどこかで表現されているように思う。

その中で不思議なのが感情は身体で表現されており、意外と思考は結びついていないことが多いことだ。
たまにすごく不安な時に、冷静に考えるということをしてみると不思議な感覚になることがある。
感情は不安で心臓の鼓動が速くなっている。
思考は冷静になり、その状態を分析するようになる。
あぁ、心臓の鼓動が速くなってるな。これが不安って感情なのだな。
妙にその状態を冷静に観察できることがたまにある。
究極の客観視だと思っている。

この客観視を続けていると感情から思考が幽体離脱してきて、
不安という感情が状態として捉えられるようになる。
感情が切り離されたと言える。
こういうのってスポーツの世界とか武道の世界では普通にあるんだろうなっと思っている。胸は熱く、頭はクールな状態でってやつ。
自分の稼働している肉体を冷静に観察して動かしている状態。
突き詰めればゾーンという状態へと入ることもこの要素なのかな。
感情を置き去りにして、状態にフォーカスする?感じ。

僕はこの状態を頑張って作りたい。
感情の支配から離れることで
誰かを傷つけちゃうことや、自分を蔑んじゃうことを踏みとどまれる。
感情に支配されると、あとで後悔することがすごく多い。
後で悔やむと書いて後悔。ムゥ。

人間の想像力はとっても便利だ。
誰かに怒っている時、なんか悲しい時、辛い時、寂しい時、

感情から幽体離脱して、その感情が遠く遥か彼方に見えなくなるくらいに飛んで行ける。

今日も僕はそんな幽体離脱を絶賛練習中です。

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