
多様性ってなんだろうな
ダイバーシティとか多様性とか言葉が広まってきた印象にある。
MeToo運動などトレンドからカルチャーとして一時代を築くような流れ。
ビジネスでも聞くようになってきたダイバーシティだが、何か未だ言葉の一人歩き感が否めない。社会に対する建前だとか、そう言っておけば聞こえが良いでしょうという感じもする。
言葉が先行することは悪いことではない。言葉が流行ると世間が言葉の意味を育ててくれる。僕も数年前はダイバーシティなど言葉さえ知らなかったわけだ。
ただ、多様性って言っても範囲は広い。様々なレイヤーでの話である。
LGBTQ、性別、国籍、都会と地方、貧富の差、健常者と身障者、その全ての差が複雑に入り混じった社会が流れている。
その全てを認められる社会になっていくといいねって話なんだろうけど、聞こえよく言っているが自分の射程圏内にない現実味のないところでの賛成のイメージが強い。僕らはそこらかまわずに線を引く。自分のセキュアな範囲に侵入してくる自分の想像を越えるものに違和感を覚え否定したくなる。
実際に近くに多国籍の人が住んでいて、僕たちと違う生活パターンであって、それが自分の生活を少し不快にするものであれば、その人を忌み嫌うのではないだろうか。そんなことってないのだろうか。
そういうことを考えて、少しでも理解してあげたり、そういう人もいるんだなと思ったり、場合によっては距離をとったりすることが大事だなと思う。
僕は平等な世界は存在しなくていいと思っている。平等はみんな同じであって差異もなく、比べることもない社会なのだろうが、多様性とは真逆だと思う。
多様性って平等ってことでしょ?って思う人が多い気がする。多様性を認めることは不平等を認めることだ。それを勘違いしてはいけない。
みんな能力や身体差が不平等であり、みんなそれぞれ違うことを認めること。
その上でそれを個性として持ち寄る社会だと思う。
僕は平等な世界じゃない方が良い。ただ、暴力がない世界であって欲しい。
昨年の本屋大賞2019のノンフィクション本大賞を受賞したブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本がある。
多様性を考える上でとても勉強になる本だから気になる人は読んでみて欲しい。
日本にいると多様性って言葉を雰囲気でしか感じられないことが多い。移民が多い国ではどういったことが問題となっていて、どういった教育がされているのか。
知ることは大事だと思う。
本書の中で、「エンパシーとは、自分で誰かの靴を履いてみること」って話があって、エンパシーって大事だなっと思った。
前に理解と合意は違うってnoteを書いたんだけど、エンパシーってのは全く自分とは考え方も生き方も違う人がいて、そういう人もいるよなって知って理解してあげることが大事って感じだと思っている。
別にその違った人の意見を聞いて合意して「そうだね!」っていう必要はない。
そういうことを考えている人なんだと思えれば良い。
ついつい意見って合わないとダメで違ってたら敵みたいに思うことが多い。でもそれって二項対立の話でしかなくて、双方が別れて石を投げ合う話でしかない。それって違う。グラデーションのような感情や意見の中で僕らは生きてるはず。
動物愛護団体の人が肉を食ったら非難される。
坊主がクリスマス祝ったら笑われる。
教師の子供がちゃんとしてねぇと白い目で見られる。
多様性ってのは、色眼鏡を外して相手を理解することから始まるのだなっと思うのである。
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