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手間と心中する。

これは フェンリル デザインとテクノロジー Advent Calendar 2019 10日目の記事です。

みなさん写真って撮りますか。
いやいやごめんなさい、愚問でしたね。
インスタグラムにフェイスブックにツイッター、ブログなどなど…
SNSに限らずともスマホでメモ代わりだったり、
記録としてやそれ以外にも何かと写真にはお世話になっているかと思います。

かくいう自分は写真が趣味だ!と言い張るようになって2年が経ちました。

僕は一眼レフで写真撮るのが好きです。
「写真なんてスマホでよくない?」
わかります。
ゴツいカメラにSDカードにバッテリーにレンズに三脚に。
「いざ旅行!いざカメラ!」となると荷物になること間違いなしです。
実際ダボみたいに重たいです。
そんな一眼レフをよそに、スマホなんかはもはや必需品。
荷物として数える必要すらないかもしれません。
そのくせズーム、広角、標準揃った3眼カメラ搭載型や、
1インチに迫る大きなセンサー(コンパクトデジタルカメラ並!)、
AIが頑張る高度な画像処理(これが一番羨ましい)で、
一眼レフで追い込んだような撮影がタップ1つで撮れるようになりました。
もしかして一眼レフをつかう自分がバカなんじゃないかと思うことすらあります。
PixelシリーズにあるようなNightSight
iPhoneのナイトモードなどはその代表格でしょう。
AIによる処理は筆舌に尽くし難い感動的な写真を撮らせてくれます。

なので、今回は
「でも一眼レフにはこんな素敵な機能があって云々…」
とか
「でも一眼レフにしか撮れない写真が云々…」
という記事に...

するつもりはありません。

手間を楽しみましょう。ですが、これは便利な時代への警鐘にはなりえません。
手間を愛しましょう。ですが、これは効率化は悪だというものでもありえません。
なんかそんな感じのお話です。

社会は色んな人の手間からも成り立っていると感じます。
車を考えた人が、飛行機を飛ばした彼らが、月に降り立った人たちが、何の手間も苦心もなしにそれらを作り上げられたとは思いません。
だから、というと言い過ぎでしょうか。
どんどん手間がなくなっていく世の中で、この記事を読んだいくらかの人が「ああ、やはりあの手間は捨てたくない」という気持ちになってくれればなと願ってます。

さて。改めてですが、僕は一眼レフで写真を撮るのが大好きです。
「いざ撮影だ!」となるとどこかにでかける前から撮影が始まります。
行くこと自体もある程度自由に楽しみたいので、ロケハンしまくって天候や状態(例えば紅葉とか)を何もかも完璧にするようなことまではしてません。
それでも、事前にどんな「もの」や「こと」があるかをしらべて、こんなふうに撮りたいな、撮れたらいいなと景色をあれこれ想像します。
そうですね、例えるなら頭の中で写真を撮るような感じです。有名な景勝地なら他の人が撮った写真を眺めてみたりして気持ちを膨らませてみたりします。
もうこの段階で半分ぐらい行ったような気持ちになってます。
撮りたい「もの」「こと」が決まれば、それを撮るに必要であろう機材を手持ちのものから整えていきます。
どうしても新しい機材が必要なら購入も検討します。一瞬は一生ですから。
レンズは望遠が必要なのか、広角はなくてもいいのか、何mmあれば想像したあの景色を思い通り収められるのか。
あっちは三脚がないと厳しそうだけれど、こっちは三脚が使えないから持っていくのはやめておくべきか。
あれこれ考えて準備していると最小限にしたつもりがいつの間にかリュックがパンパンになっています。
到着すると構図を考えて動き回って、レンズを替えて、中国雑技団顔負けのポーズ(言い過ぎ)でカメラを構えます。
同じ場所、同じ構図でも何回か撮ってカメラの設定を考えてみたり。後から弄ることも考えてあえて明るく撮ってみたり、暗く撮ってみたり。
僕はRAW(加工耐性が強い少し特殊なファイル形式)現像も好きです。
なので、撮り終わったらほぼ間違いなくパソコンに向き合って写真を作ります。
撮った写真を全部移して、弄ってもどうしようもなさそうなものだけ弾きます。
そこから最初にお気に入りのものを自分の思ったとおりになるようにシャドウだとか、ハイライトだとか、ホワイトバランスだとかを隅から隅まで弄り倒します。
僕が赤だと言えば緑も赤にできますし、少しばかり白けた空でも、僕の一存で目で見えていたよりはるかに鮮やかな景色にもできます。邪魔だと思えば人の1人や2人消してしまうことだって...
僕は「ありのまま」も好きですが、どちらかというと撮ったままより、頭にあった「あの」風景にしたくて色々と弄る感じです。なんとなく思い出が蘇るような感じがしてこの瞬間が好きです。
弄り倒しているとだんだんとマッドサイエンティストみたいな気分になって、写真を撮ってる時と同じぐらいわくわくします。
これをお気に入りから順に100枚だか200枚だか撮ってきた分全部、気の済むまで繰り返します。同じ写真を3パターンとか作ったりもします。
あれやこれや好きに弄ってると結局全部満足行く形にすると3日とか4日かかってしまいます。
ふう、やっと写真ができました。

なんだこれ、どっからどう考えても手間じゃないですか。
あきらかに自分で手間を増やしています。
「〇〇行こう!キレイ!(パシャ)インスタあげよ!」の何倍めんどくさいんだ。

今ではレフ機からミラーレスカメラに時代の色が移りつつあるのではと思います。
フォーカスはオートでピッタリあうし、細かい設定も全部カメラ任せにしても調整してくれます。
フィルムを巻く必要もありません。撮ってすぐにスマホに転送もできます。
色んな表示もデジタルでやってくれるし、手ブレも補正してくれます。
どんな人が持ってもシャッターさえきればなかなかいい写真を撮ってくれます。
色々な人たちの手間暇のおかげでデジタルカメラは手間から解放されました。

でも、そんな中でフィルムカメラが愛しい。と思ってしまいます。
例えば公園に写真を撮りに行こう!となったとしましょう。
大冒険の始まりです。
まずフィルムがないと話になりません。
SDカードなら頑張ればそこらへんのコンビニでも買えます。
しかしフィルムはそうはいきません。
最悪の場合、もはや家から出ること無く冒険が終わってしまいます。
「じゃあ入れっぱなしにしとけばいいか!」とも思うんですが、彼ら光に敏感で、あんまり装填しっぱなしだと使えなくなっちゃったりするんです…
入れっぱなしにしてしまうといざってときに撮れてないかもしれません。
フィルムをガシャガシャ装填して、ちゃんと巻けるか確認して準備完了。
ふぅ、そうだ、フォーカスってあわせたことあります?
あまりにも被写体がボケてると締まらないですよね。
スマホとかデジタル一眼レフは画面タッチしたりシャッター半押ししたらスッと合いますよね。賢い良い子です。
(機種にもよりますが)フィルムカメラはフォーカスを自動であわせてくれたりはしません。手動です。手動。
レンズのフォーカスリングをくるくるまわして、ファインダーをのぞきながら像がくっきりするように調整します。
あ、写真の明るさって考えたことありますか?
あれってシャッタースピードとかF値とかで決まってるんですけども。
要は光の取り込む量を色んな値で決定してるんですね。
気づきました?そうです、これも手動で調整します。さすがに「露出計」というものが搭載されていれば、ある程度は整った明るさに簡単にできます。
でもまぁ、ないやつがあるんですよ。ニクいですね。
露出計がない場合は単体露出計や、露出を計るアプリが必要になります。(人間露出計みたいなことができれば要りません)
さてここでやっとシャッターが切れます。
どうですか?僕は自分で書いててちょっと嫌いになってしまいそうです。
ここで撮った撮ったと満足してフィルムを取り出してどれどれと眺めたら撮った写真が全部死にます。
おお!勇者よ...
しっかりと巻き取ってから取り出してあげるようにしましょう。
現像は家で各種現像薬品を準備してやるもよし(ここの手間は僕には未知の領域です)、まだまだフィルム現像をしてくれるところはあるのでそこに出すもよし。
ああ、やっと写真が出来そうです。

デジタルカメラを握るとどうにも人が変わったように構図がどうとか現像がどうとか考えて「写真を作る人」になってしまいます。
カメラを握りだしたのは「一瞬を残したかった」からです(ほんとはカメラがカッコイイからなんですが、そういうことにさせてください)。
フィルムカメラは簡単に撮れないし、そんなに気軽に撮り直しはできません。
でも、だからこそ撮る行為一挙手一投足、全てが写真になって、「一瞬を残す」をもっと自然に叶えてくれる気がします。
手間は時に本質的ななにかを思いださせてくれるのかもしれません。

ところで、今更ですが、手間とは「そのことをするのに費やされる時間や労力。」のことを言うそうです。
例えば手間を省くとか、手間をかけるとか。
「時間」とか「労力」とか言われると地味に気の重くなるワードですね。
しかしみなさん、なにか愛している手間、ありますか?
時間や労力をかけてもいいと思えること、ありますか?
なるほど、ありますか。
多分こんな長々した文章をまだ読んでくださってるということはきっと「なにか」あるんでしょう?
是非、そのままで行きましょう。ズブズブに手間をかけましょう。

ほうっておいても誰かが手間暇かけて世界はどんどんめんどくさいことから遠ざかってくれます。
今手元にある愛しい手間達は手放すと簡単に帰ってきてくれないかもしれません。
スマホが普及し、メッセージアプリが出始めて、メールすらもレガシーになり、手書きの手紙が特別なものになったように。

だから自分を構成する何%かのとんでもない「手間」を誇っちゃいましょう。
僕がフィルムカメラでやたらと手間取っているところに、たとえ誰かが「手間だ」「無駄だ」と言ってきても気にしません。
僕がこの手間と共に歩み始めても誰かに怒られる必要なんて全くないのです。

手間とかめんどくさいことはみんなほんとはそんなに好きじゃありません。
「よし今日から資料管理は全部紙でやろう、承認の判子は実印で!エクセルは使っていいけど電卓で全部結果をチェックしてね!」
とか言われたら人によってはアナフィラキシーショックでも起こして失神してしまうかもしれません。
だからこそ、個人で楽しめる「手間」はもっと大事にしませんか?

僕は一眼レフで、フィルムカメラで、写真で、降りかかるあらゆる手間と死にゆきます。

さて、次は何を撮りに行こう?

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