ひな祭りと越生町の佐藤酒造店 女性杜氏に祝福。

3/3はひな祭り。これがアップされる頃は
次の日以降になっている事だろう。

それでも、描きたいと思った。
全ての女性に。ありがとうという感謝の
ひな祭りの日に。

佐藤麻里子 杜氏が、この3月に20代を終えて
30歳の誕生日を迎え、いよいよ30代に入る。

酒蔵の世界は「修行を10年で一人前」という世界だが
生まれ持って酒蔵で育つ佐藤麻里子さんは、
酒蔵歴は30年ともいえるかもしれない。

そんな中で「彼女が30歳になる頃」に伝えたい言葉が僕にはあった。今回は「そんな想い」がほんの少し伝えられたらと思う。


地産地消の極みともいえる日本酒。
世界に誇る食文化の一つである日本酒。

2月。ちょうど新酒のできる時期で、蔵にはお酒のいい香りが立ちこめている。
kazuhikoも、酒蔵のこの匂いに感動する月。
それは越生町に、梅が咲き始める時期でもある。

日本酒造りの職人・杜氏というと、もっぱら年配男性のイメージですが
その男性の世界ともいえる杜氏の世界に、若くして飛び込んだ女性が居ます。

埼玉県 越生町の老舗 酒蔵の「佐藤酒造店」の長女•佐藤麻里子さん。
酒造会社の娘として生まれたとはいえ、未だ男性がほとんどの杜氏の世界へ足を踏み入れた佐藤麻里子 杜氏。
埼玉県で初の女性杜氏であり、東日本でも1番若くして女性杜氏になった人でもある。

このnoteの著書であるkazuhikoが、後世に伝えたい女性杜氏の先駆けといえる佐藤麻里子さんだが。
著者のkazuhikoが、佐藤麻里子 杜氏に目標として
欲しい1人の女性杜氏がいる。

それは日本初の女性一級醸造技能士 椎谷 和子さん。

(写真は市島酒造HPとFacebookより)

その昔、酒造りは女人禁制の仕事とされた。
その慣習を打ち破ったのが市島酒造で、いち早く女性蔵人を採用し、昭和54年には、女性初の1級酒造技能士(日本酒の製造に関する最上位の国家資格)が誕生し、話題になった。

日本初の女性一級醸造技能士 椎谷 和子さん。

女性初の1級酒造技能士、椎谷和子さんは平成15年に引退。

同年、杜氏(とうじ)になった田中毅さん(53)は同酒造の酒の特徴を「淡麗辛口ながら女性的でやわらかい味」と説明する。

佐藤麻里子 杜氏が目指す未来の醸造の世界。
kazuhikoは思う。
「男性に勝つ酒造りではなく、女性杜氏にしか出来ない酒の味があるはずだ。」と。

そして梅酒造りでも、素晴らしい女性杜氏でもある。

新発田市天王にある当蔵本家市島邸の梅林から
蔵人が一粒づつ丁寧に手摘みで収穫した梅を
純米酒かれんsilkに漬け込んだ手造りの梅酒。

まさに佐藤麻里子 杜氏と同じ。
自分の目が届くものしか、美味しいは造れない。
そういう妥協しない生粋の頑固杜氏だ。
多くの賞を受賞した梅酒でもある。

■爽やかなリンゴのような香り 
新潟県の指定文化財「市島邸」の梅林から社員が1粒ずつ手で摘んで収穫した梅を使用。
純米酒「かれんsilk(シルク)」に3カ月間漬け込んだ。軽くあっさりしておりアルコール度数も8%と低め。「爽やかなリンゴのような香り。アルコール度数が低めなので、世代を問わず楽しめる。梅の良さを素直に引き出している」、「果実そのものを味わっているような優しい味わい」



商品は、代表銘柄「王紋」と純米酒「夢」、若者や女性好みに仕上げた「かれん」を合わせて17種類ある。
もちろんこのnote著者であるkazuhikoも、取り寄せて飲んだ事がある。

今は杜氏が代われば味が引き継がれつつも、やはり変わる。椎谷和子さんの作品はもう飲めないが、市島酒造では今でもこの梅酒の中には、生きていると思っている。


(昭和50酒造年度、女性初の酒造一級技能士を取得した日本初の「女性杜氏」誕生)

『女性が蔵に入る』今でこそ当たり前になっていますが、当時は考えられませんでした。
相撲の土俵に上がることと同じように・・・

彼女はごく普通の農家の主婦で、当初は蔵人の食事支度や雑用を手伝うパートタイマーでした。

しかし、会社は彼女を蔵の中へと入らせます。その頃は都会就職率が上がって男手が減っ
ていたこと、また、祖父で四代目・長松が海外で見てきたグローバルスタンダードもありました。

四代目の中では男女平等は当たり前だったようです。勿論、椎谷自身が望んだことも条件として
マッチしました。

私は農家に嫁いで、農業をやっていたんです。それがある時、知人から「市島酒造さんでおかって(炊事)の働き手を探しているんだけど、やってみない」と誘ってもらったんです。
秋から春にかけて行われる酒造りに従事する蔵人たちのご飯炊き。おかってには大きな釜がありまして、お湯をもらいに蔵人たちが1日に何回も出入りするんです。私も仕事のかたわら、蔵人の仕事を見てたんですね。
そしたら、一生懸命、黙々と働く姿がカッコよくってね。次の年の秋、お願いしたんです。「造りに入らせてもらいたい」って。そうしたら、良いよって採用されて。

当時、私の他に、瓶詰め、造りの手伝いに女性が5、6人いましてね、その人たちと一緒に働くようになりました。力仕事が多かったけど、本業は農家。全く苦にはならなかったですね、

それよりも自分が蔵人になれた喜びが強かったですね。
試験に向け、勉強している杜氏の姿に憧れて

そうして蔵で酒造りのお手伝いをしていたんですが、また転機がありましてね。
昭和49年から始まった酒造技能士の検定試験です。
始まった年に、杜氏と副杜氏が受験したんですが、その試験勉強をしている姿が素敵でね。
それに試験が面白そうに映ったんです。で、試験を受けさせてほしいって翌年、杜氏に言ったんです。

そうしたら、「せっかく受けるなら一級を受験しなさい」って言っていただいたんです。そこで昭和50年は働きながら、帰って家で勉強。睡眠時間は3時間程度という日も多く続きました。そうして、受験したら、合格の通知がきまして、正直自分でも驚きました。憧れから始まった受験でしたから。もちろん受かるつもりで必死に勉強したけども、そうしたら女性で受かったのは、一級、二級をあわせても私1人だって聞かされて二度ビックリですよ。

それからはもっと日本酒造りとの距離が近くなって、お酒の分析をしたり、しぼりをしたり、酒母造ったり、室に入って麹作ったり……。本当に男性と同じお仕事をさせていただきました。


平成15年に退社するときに、実感したんです。

私は人が好きなんだ」って。
働いている人、勉強している人……。たまたまご縁をいただいた市島酒造さんで多くの人たちに出会いました。人の口に入るものだからより丁寧に、真摯にものづくりを行う方々に。だから39年もの間、働くことができたんだと思います。だって、楽しかったもの、毎日。

参考文献



佐藤麻里子さん。まだ少し早いですが
30歳のお誕生日おめでとう。

「毎日」「楽しい」

椎谷 和子 杜氏のこの言葉を贈ります。

佐藤酒造店に生まれて30年。
死ぬまで、酒蔵の人である佐藤 麻里子さん。
誰もが真似が出来ない。世界で僅かの生き方です。

楽しんで毎日が過ごせますように

40kgの酒米を軽々、運ぶ佐藤麻里子 杜氏。

自分の酒の酒米を刈り取る佐藤麻里子 杜氏

自分の子供のように愛情を注ぐ佐藤麻里子杜氏

「女性杜氏」は「男性杜氏」に負けない。
それどころか。男性杜氏よりも、もっともっと
日本酒造りに、真摯に向き合っている。

「背負っているものが違うのだ」

佐藤酒造店に生まれた日から、蔵人の佐藤麻里子。


「麹室へ入るたびに、麹の表情がどんどん変わっていくんです。こんなにおもしろいものはない。すっかり魅せられてしまいました」

蒸米に振りかけた麹菌が2日間かけて増えていく光景を見て、とても感動した麻里子さん。「卒業したら、蔵に入って酒造りをしたい」と、父に告げました。

と佐藤麻里子 杜氏。

その醸造人生はこれからも「毎日」「楽しかった」と杜氏を辞める時に言える椎谷和子 杜氏のような一生であって欲しいと思います。

佐藤麻里子 杜氏 お誕生日おめでとう。
ひな祭り。女性の皆さま。
いつもありがとうございます。
女性の力無くして、幸福という世界は存在しません。

佐藤麻里子さんが杜氏のお酒は、とても優しくて
ちょっぴり、元気をくれるお酒です。

佐藤麻里子 杜氏の「美味しくなれ」が詰まった
お酒だから。
これからもずっと応援していきますよ!

朗報です!
佐藤酒造店の梅酒が
オンラインで買えるように、なりました。
公式HPのサイトです。是非一度お立ち寄り下さい。


追記

作家・宮尾登美子さんが新潟の酒蔵を舞台にした長編小説「蔵」を執筆する前、市島酒造を訪ねて取材したのは有名な話。
小説は、女人禁制の酒蔵を引き継ぐことを決心した目の不自由な女性主人公の過酷な運命と家族の絆を描いている。

『藏』(くら)は、宮尾登美子による日本の長編小説。1992年3月から1993年4月まで『毎日新聞』朝刊に連載され、1993年に毎日新聞社より単行本が刊行された。のち、角川書店から角川文庫版が刊行されている。

大正 - 昭和初期、越後の銘酒『冬麗』の蔵元・田乃内家を舞台に、跡取り娘の盲目の美少女・烈を軸に苛酷な運命を生きる家族の愛憎と絆を描く。連載中から大きな反響を呼び、映画・テレビドラマ・舞台作品化もされた。Wikipediaより

NHKで時代劇シリーズ
「蔵」としてドラマ化される

逆境のなかで、けなげに、そしてりりしく生きようとする女性の姿を描いては定評のある宮尾登美子の長編小説「藏」をドラマ化する。

新潟の造り酒屋を舞台に大正から昭和へ、強い意志で自分を切り開いていく盲目の少女と、彼女の伴走者となるひとりの女性を中心に、日本の原点ともいえる「家」と、今の日本人たちが忘れかけている人間たちの生きざまを描く。

「藏」は新聞連載中より、感動と共感の声を伝える投書か殺到した話題作である。
日本の伝統は繊細に美しく、時に残酷である。
日本の女性はその重さの中で生きてきた。
宮尾登美子は古い日本の社会なかで、
人生を自分の意志で生き抜いていく女性を主人公に「櫂」「陽暉楼」「鬼龍院花子の生涯」など多くの人々に感動を与える小説を発表してきた。

そして、今、新潟の大地主であり酒蔵を経営する家を舞台に最新作「藏」が発表された。

大正から昭和へ、今に似た不況の時代背景の中で、
病気のため失明する運命にある美しい少女「烈」と常に彼女を見守り、支える叔母の「佐穂」の、相反する立場と性格の二人の女性を軸に、戦前の日本の社会の一員ともいえる「家」を多彩な人間像と共に描いた大型女性ロマンである。
あらすじ

大正8年(1919年)、新潟県(越後)亀田町(現在の新潟市江南区)の大地主で酒蔵『冬麗』の蔵元でもある田乃内家の当主・意造と妻・賀穂の間に女の子が産まれる。夫妻の間で過去8回妊娠した子を全て失い、9人目にしてようやく授かった健康な女子に意造はあえて「烈(れつ)」という力強い名を付ける。出産で健康を害した賀穂に代わり、烈は賀穂の未婚の妹で叔母に当たる佐穂に育てられ、周囲の期待通り賢く美しく成長するが、小学校入学を前に網膜色素変性症でやがて失明すると宣告される。ショックを受けた烈は心を閉ざし、小学校にも行かず、自邸に引きこもるようになってしまう。母・賀穂は自分の生命に換えても烈の眼を治したいと思うあまり、病身も省みず越後三十三ヶ所観音札所巡礼の旅に出て途中で倒れ、「自分が死んだら佐穂を意造の後妻とし、烈の母親として欲しい」と言い残し息を引き取ってしまう。

烈と佐穂は実の母娘同然の絆で結ばれており、佐穂自身義兄の意造にずっと密かに想いをよせており、誰もが佐穂が意造の後妻となるのが最良だと信じて疑わなかった。しかし度重なる家中の不幸に疲れた意造は、それをわかっていながら若い芸妓せきに心を奪われ、無理矢理後妻に迎えてしまう。佐穂はいたたまれずに黙って実家に逃げ帰るが、烈の懇願と意造の誠意に「生涯をかけて烈を守る」と誓い田乃内家に戻る。

間もなくせきは田乃内家の跡取りたるべき男子を産むが、思わぬ事故で死んでしまい、意造との夫婦仲も破綻する。意造自身も病に倒れ半身不随となり、烈も14歳の時に完全に失明してしまう。全てに絶望し酒蔵を手放す決意をする意造。しかし烈は、全盲のハンディをも超えて、自分が田乃内家と『冬麗』の蔵を継ぐと宣言する。酒蔵は女人禁制とされた時代、意造は烈の障害はともかく、いくら賢い娘でも蔵元を継がせる事など考えられなかったが、ついには烈の熱意に押し切られ酒造りを再開する。蔵を受け継ぎ守り抜くことが自分の生き方だと信じる烈。意造は娘を将来の蔵元にふさわしく教育することに生き甲斐を見出すのだった。

年頃の美しい娘に成長した烈は、若い蔵人・涼太に許されぬ恋心を募らせていく。田乃内家の生活に馴染めずこの家を出て自分らしく生きたいと望むせき。意造への想いを押し殺し生娘のまま事実上田乃内家の女主人となっても、自分は意造の妻ではなく烈の本当の母でもないと苦しむ佐穂。家父長制的価値観に縛られ、せきと仮面夫婦を演じ続け、本当に大切な女性である佐穂に何も出来ず、烈の恋を許す事も出来ない意造。それぞれの想いが交錯する中、烈は涼太に想いを伝えるべく家を抜け出す…。
Wikipediaより

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