ぬいぐるみを干しながら考えた、コロナとかについて私たちがほんとうに恐れていることとは?
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
ぬいぐるみ日和ですね。
ぬいぐるみを干すと、タグをつまむので
どうしてもこういう絵になってしまいます。
今朝、ちょっとていねいにヨガとストレッチをして
リトリートチェアに座って瞑想をしたら
なんだかすべての問題はヨガと瞑想で解決するんじゃないか?
と思ってしまいました、笑
(ボディーワークでも可)。
内側に平和をつくる技は、
各自がなにか持っていたほうが良い。
実は朝から、ワクチンで盛り上がっているコミュニティを見てしまい、若干もやもやとしていたのです。
そのもやもやを見つめながらぬいぐるみを干し、瞑想を終わったらふと思ったのです。
「どっちでもいいし、どっちか論争って結局どっちの結論も寂しいな」と。
ワクチン問題とかコロナを巡って、この一年半だいぶいろいろなことを考え、だいぶ整理されてきました。そしてわたしはワクチンの一回目接種を終えたところなのだけれど、このことさえこうやって全世界から見られるところにテキストで書くには勇気がいる…っていうこの事態の異常さね。
カオスだなあと思う。自分が見たいものしか見ず、信じたいものしか信じない、というのはこれ人の性で、いわゆる「認知バイアス」というベタなアレなのだけれど、ことコロナやワクチンにまつわる主張の対立は「向こう側」の主張の人を「よく考えないバカ」みたいにして貶めて自分の位置を相対的に守ろうとする。
この「バカにする」エネルギーの激しさってとても興味深くて、今朝それに出会ったときの自分のもやもやに気づきながら過ごしてみたら、その不毛さの正体がちょっと感じられた気がした。
みんな不安なのだ。ただそれだけだ。
この問題については「答えがない」が答えなのではないかと思っている。
だって圧倒的に未知なのだから。
(もちろんこれも私の視点で、この視点が全てに投影されます)
どの主義主張も、100%確信を持って言えるものって、ないのだ。(多分、科学を誠実にやっている人ほど科学的にその不確かさを見ていると思う。)
私たちが恐れていることは2つある。
ひとつは
自分が間違っているのではないか
ということ。それを恐れているから、自分が信じることを正しいと感じさせてくれる人やコミュニティや資料を強力に支持する。「そうだそうだ!だからわたしが感じてることは間違っていない。」そして安心する。(ほんの一瞬)
でもゆらがぬ確信があるわけではないから、その安心感をざわつかせるものは感情的に排除したくなり、その感情の正当性を探して・・・ループの最初に戻る。
もう一つの恐れ。これが私たちが一番恐れているもの。
それは多分「コロナで人類が死に絶えること」ではなくて、「自分が死ぬ」ことですらももしかしたらなくて、
この状態が永続すること
ではないだろうか。先が見えず、答えがなく、自由がなく、安心がなく、問題はそれなりにあれど、今よりずっと生き生きと楽しくて選択肢が多かった2019年以前に、生涯、もう、ずっと戻れないことに決定しましたと言われること。ヒリヒリと、世間の空気を読み続け、批判を恐れるか、批判を避ける行動を取り続けなければいけないこと。
・・・・心からイヤですね、笑。
生命の危機は医学で回避できても、じわりじわりと、心を持つ生き物としてはゆでガエル的に緩やかに死んでいく、しかない人生で最後まで行くとしたら、心からイヤですねえ。
まあ、現実問題としてそうはならないと思いますけれども ←と、どうしても言いたくなります。
事実そうなるんじゃないか、というような予想を述べているのではなくて、それが一番イヤだと思っているんじゃないかな、ということ。この何がイヤかは、これまた多様性があるだろうから、それぞれが「結局一番やなのはなんなんだろうわたし」と考えてみたら良いと思う。
コロナについての各自の意見は、特に何か強く主義主張を述べなければ気がすまない感じがしたり、他者の意見に激しく反応するとしたら、いずれの意見にしても、そのほんとうの根底には「見ないようにしている、それぞれのど最悪の未来予想図」が、その感情にエネルギーを与えている可能性は高い。
だから、自分の内側を感じてみよう。
そして、そこで本当に恐れていることに目を向けて、それとともに今日も生きていっている自分をひとまず労おう。
それが出来たら、それぞれの恐れを押し込めながらなんとかバランスを取って生き続けている全世界のこの1年半を「ああ気の毒に」「なんてよくやっているの私たち」という気持ちが身体の底から湧いてくる。
その感覚の中から選択したら良いのだと思う。
最近、(Mrビーンをやっていた)ローワン・アトキンソンのこのコントのことをよく思い出すのです。
(そのものの動画は見つけられなかったので解説編を)
「地獄へようこそ」というこ動画の中では、審判が地獄へ落ちる人を選り分けていて「殺人犯」「弁護士」「フランス人」などが罪人としてより分けられ、笑 最後に「クリスチャン」が呼び集められて
「残念でした、正解はユダヤ教でした」
と地獄に落とされるのです。(コントをテキスト化する無粋をお許しください、そして見て笑ってね。ああもう、イギリス人!w ってなりますから。)
私たちはきっと恐れている。地獄でミスタービーンに、
「残念でした、コロナは風邪でした」とか
「正しかったのは医者でした」とか
「ワクチンは○○だったんですよ」とか
なにしろ
「間違っていたのはあなたの方でした」
と言われることを!
でもわたしはね、なんとなく、神様がいるとしたら
「どっちでもよかったのになんでみんなそんなにいがみ合ってたの?」
って言われるんじゃないかなと思っている。
誰しも、痛みを回避する方に行きたがる。そのことに自覚的にいる、というだけでもずいぶんとこの世界はマシなものになる気がするのだ。
自分がこの世界のために出来ることなんて生涯通してもびっくりするほど少ないわけだが、自分の内側の静けさにタッチする時間を持つことだけは心がけていたいと思う。やってみれば、そのことの価値というのは感じられるものだ。
自分の中のスペースを大事にしながら、みなさまステキな3連休を☆
わたくしはピンチに干しきれないぬいぐるみをネットに置いたら、重い子のまわりのネットがたわんでそこに小さい子たちが転がり落ちていくさまを見て、重力場のことなど考えています、笑
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