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バギオとイフガオ族と日本と

私は出会うなり、ドネリンを抱きしめた。
じつは、ここに来るまでドネリンにはもう会えないのではないかと不安だった。
一か月ほど前、ドネリンが台湾に出稼ぎに行くつもりでパスポートを取ったことを友人づてに聞いていた。彼女のお姉さんは、すでに数年前から台湾で働いている。

一通り、いちご狩りを楽しんで、家族の近況を聞いたあと、
「本当に外国に働きに行くの?」とドネリンに聞いた。
ドネリンは少し間をおいて、迷った顔をしながら「バギオにいるよ。ここでカズたちが来るのを待っているよ」と答えた。


それは、ドネリンの本心なのだと思う。迷った顔をしたのは仕事のことを心配してだろう。きょうだいの多い彼女は、兄や姉を大学に行かせるため、10代前半にマニラでメイドとして働いていたこともあるという。そして、今度は妹、弟たちの学費を稼がなくてはならない。
こうしてバギオの親戚のもとで働けるのならいいけれど、いちごのシーズンが終わったあとのことは、まだ何もわからないようだ。

いちごをたっぷり食べたあと、ドネリンがビニルを貼りあわせた小屋から水を持ってきてくれた。「あそこに泊まっているんだ」とドネリンはその小屋を指していう。毎晩、ドネリンと従妹はその小屋に待機して、夜通しいちごの見張りをしているらしい。
ドネリンの腕っぷしの強さは知っているけど…
「怖くないの?」と聞くと、
「大丈夫だよ、盗りに来る人がたくさんいるんだ。しっかり見張っていないと」と、今度はあっけらかんとした顔で答えた。

翌日、アニーとドネリン、それからドネリンの友人のランディと、バギオを一望できる絶景で有名なマインズビュー・パークに行った。
ランディは、ほかの二人とは別の村の出身だけど、やはりイフガオ族で素朴な女の子だ。

景色を眺めてから、みやげ物店をぶらぶら。そのなかにイフガオ族の生活道具や民芸品を陳列しているミュージアムを見つけ、私たちは吸い込まれるように中に入った。内部はイフガオ族の文化保存のために募金をする条件つきで、写真撮影可能。

懐かしそうに展示を見る3人。
ドネリンは、はしゃいでイフガオ族の祭りで披露する踊りをはじめた。

バギオから彼女たちの故郷の村まではバスとジプニーを乗り継いで8時間ほどかかる。経済的にも余裕のない彼女たちは、そうそう村に帰れない。
また村に戻って暮らしたいか、とアニーに聞くと「住むならバギオのほうがいいな。スーパーマーケットも病院も遠くて不便だから。でも、自分の育った土地だから好きだし、帰りたくなるよ」との答え。


彼女たちの兄や姉はみな、遠くの町に、あるいは海外に働きに出て、家には父母と小さな妹、弟、おい、めいが残っているだけだという。


村で受け継がれてきた儀式も踊りも音楽も、すべて手で行ってきた田植えや脱穀の作業も、川で水浴びすることも、アニーたちの子どもは知らずに育つのかもしれない。自然の懐にあったイフガオ族の暮らしは、これから少しずつ途絶えて、いつかミュージアムのなかでしか見られなくなるのだろうか。

イフガオ族に限らず、都市部が便利になり、物があふれるようになるにつれて、先住民たちの価値観は変化してきた。それまでの自給自足の生活から工業製品を買うため、貨幣を手に入れるために、仕事を求めて村を出るようになった。(けれど、そのうちの多くが、仕事を得ることができず、路上で日銭を稼いで暮らし、ストリートチルドレンを生み出すことになる。)そして今は、子どもたちも、将来、都市部で仕事につくため、村を出て遠くの高校、大学まで通い、その学費を稼ぐためにまた、ほかのきょうだいたちが、都市で働いている。

また、土地の収奪や自然災害などが原因で、貧困に追い込まれた先住民も多い。そうした背景からなのか、バギオの市街地では、先住民族の衣装をまとって物乞いをしているおばあさんもいた。

そんな様子を目にすると、忠実に伝統的な生活を送ることが、先住民たちにとって必ずしも幸せなことだとは言えない。
けれど、情が深くて無欲でたくましい友人たちを育てたイフガオ族の生活が私は好きだ。
生きるために自分たちの手足を使うことを怠り、電気が足りないと言われればおろおろする日本を思うと、つねに自然とともにある先住民たちに敬意が湧く。

3日間はあっというまに過ぎた。
日本の地方都市で生まれた私と、フィリピンの山奥で生まれた彼女たちと。
奇跡的な確率で出会った私たちだから、別れるときは本当にまた会えるのかいつも、ちょっと心許ない。
でも、最後にもう一度「バギオで待っている」と言った、ドネリンの言葉を頼りに、次の再会を楽しみにしている。


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