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人の死とインターネット

子供の頃は周りの人が突然死ぬことなんてあまりなくて、あってもおじいちゃんおばあちゃんを看取るとかそういう静かで緩やかなものがほとんどだったような気がします。

だから小学校の頃に難病を抱えてた同級生が亡くなった時はショックだったし、今でもそういう報せが耳に入るとギョっとします。まあさすがに自分も歳を取ったし、そういうことも普通にありえるって理屈では分かってはいるんですが、それでもなんとなく子供の頃からの「自分と周りの人間はずっと生きていてこのまま続くんだろうな」っていう間違った感覚を抱えたまま日々を過ごしてしまいがちです。

僕が初めて家のパソコンでインターネットに触れたのが20年近く前のことで、その時に見たもので一番印象に残ってるのが「ねこぢる 自殺」という文字が左右に動いてチカチカしてる個人のニュースサイトでした。当時はテレビなんかでもあんまりねこぢるの自殺については取り上げられてなくて、インターネットならではの情報の煮凝り具合と毒性のようなものの片鱗を感じた初めての体験だったのかもしれません。

それからもインターネットは人の死の詳細を語り続け、今では人が死んだ瞬間の映像なんかも手軽に見られるようになりました。それが良いことか悪いことなのかは僕には分かりませんが、そういう密度が濃い毒のような情報こそがインターネットの原初なのかもなと思ったりしました。甘い蜜よりも毒が必要な時もあるのです。

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