西城秀樹さんがお亡くなりになった件。残された人の意思も尊重したいと僕は思う
歌手・西城秀樹さん(享年63歳)がお亡くなりになった件で、Twitterを見ているとこのようなニュースを見つけました。
Yahoo!ニュースより一部抜粋
元気な時代を知る岩崎は「病気になって不自由になってからの映像は控えてもらいたい。元気な西城秀樹の印象がある。後半の身体が不自由になってからのフィルムは使わないでもらいたい」と涙で訴えていた。
引用)Yahoo!ニュース
それに対して、「西城さん本人の意思を尊重してほしい。」という意見がTwitter上でありました。
僕も、西城さん本人の意思を尊重してほしいとの思いはすごくよくわかります。
しかし、岩崎さんのような気持ちになる人がいるのは事実です。おそらく西城さんのファンの方でも同じように思う人は多いはず。
障害に対する認識を変えるには?
好きだった人が障害を負ったり、亡くなったりすると色んな感情が湧いてきます。
葛藤している人の気持ちを抑えて、あたかも無いものにしても生きづらくならないだろうか?
そんな社会になってしまわないだろうか?
もし、障害に対する世間の認識を変えるのなら、岩崎さんの気持ちも理解しないといけないと思う。
なので、僕は別の視点で解釈してみました。
全盛期の魅力を世の中にもっと知ってほしい、とも解釈できる。
何を大切にしているのか?
西城さん、岩崎さん、岩崎さんのコメントを見た人。
3者が何を大切にしているか?
西城さんは、障害後もみてほしい
岩崎さんは、全盛期の西城さんが一番好き
岩崎さんのコメントを見た人は、西城さんの意見を尊重してほしい、リハビリテーションとは何かを世間の人に知ってほしい
こうでしょうか。
ちなみに発言自体は自由です。
メディアはどこまで正確かは計り知れませんが、岩崎さんは「西城さんが障害を負った後の放送をやめろ」と強制したわけではないので、一意見として捉える段階だと思う。
あるがままを見せるだけではいけない
例えば、あなたの親でも恋人、子供でも、不慮の事故かなにかで寝たきりになったとしましょう。それでもリハビリを頑張っている親族。
僕はたぶん悲しくなるので、受け入れるのに時間がかかる。
要するに、こたえる・・・
あまり知らない人だと、わりと早期から客観的に見ていられるかもしれませんが。
あるがままを見せれば良いというものでもなく、見ている人が辛くならないように工夫することも大事なんじゃないかな。
西城さんの意思を尊重するあまりに、岩崎さんのような気持ちになる人もいることに無頓着になってはいけないと思う。
亡くなった方の意思を尊重するのはいいが、残された人の意思はもっともっと尊重しないといけません。
我々は、これからも生きていくのだから。
岩崎さんの心情は?
岩崎さんの気持ちを理解しようとしてみると、岩崎さん自身も障害受容ができていないと感じる。
コーン(Cohn)段階理論が提唱している障害受容の過程には、①ショック期、②否認期、③混乱期、④解決への努力期、⑤受容期があります。
岩崎さんが病気ということではありませんが、おそらくショック期か否認期に当てはまる。
こう考えてみると、岩崎さんの発言の真意も少しわかってくる気がする。
障害を受け入れるには時間が必要
岩崎さんは、西城秀樹がとても好きだったのでしょう。
岩崎さんは、全盛期の西城さんに魅了され、岩崎さん自身の生活に溶け込むこともあったのでしょう。
その西城さんが病気になり、その姿を見て岩崎さん自身も生活の一部が崩された感覚にあったのではないでしょうか。
自分が障害を持ったり、人が亡くなったり、最愛の人が障害を持ってすぐに
「はい、そうですか。受け入れます!」とはいきません。
受け入れるにも、時間が必要なんです。
そして、僕ら医療従事者は、ショックを受けた人がどうすればあるがままを受け入れられるのかを考えていかなければいけない。
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