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君は君だが僕じゃない。だから

こんにちはカズです。大体あと一ヶ月で卒業することをいまだに信じられていない自分がいます。1年間本当に早すぎます。まだ10月ぐらいの感覚です。

さて、今回は書く内容は決まってます。前回宣言しましたからね。
今回のテーマは「否定」です。だいぶ哲学的なテーマですが無論私がそんな哲学的なことを書けるわけでもないので9割持論です。お許しを

本題に入る前に軽く「否定」について意味を確認しましょう
否定
1.(ある事柄について)認めずに、そうではないと打ち消すこと。
2.(ある物事を)退けること。
3.(論理学)(ある命題を)偽とすること。
4.(数学・数理論理学)命題の真と偽を反転する論理演算。
(※by Wikipedia)
今回は1の「(ある事柄について)認めずに、そうでないと打ち消すこと」の意味で話を進めていきます。

ではまずなぜ私が「否定」について書こうと思ったのか
それは前回記事を書いている時にふと思い出したことがあったからなんですね。
知り合い(ここでは彼とします)とよく遊んでいた数年間。彼はアニメやマンガ、ボカロと言ったネット中心の文化を知らず、さらにいうなら若干の偏見を持っていたんですね。「オタクはキモい」みたいな感じです。
この時は彼も女性への苦手意識ができる前だったし私も不登校になる前だったというのもあったんですが・・・
そして私は真逆でマンガアニメボカロ大好き人間だったのでやっぱり話が合わないこともあったんですね。私が本屋に行ってマンガを買ってたりすると「それに使うぐらいなら別のことにお金使った方がいいってw」なんてよく言われてました。
まぁ私も似たようなことを言ってたのであまり大きな声で言えないですが。
「その服は流石にダサい」とか普通に言ってました

当時は全く気にもならなかったし気にしてなかったですが今考えるとだいぶエグいことしてたなぁと思い出したんですよね。
仲が良かったからなんとか大丈夫だったんでしょうね。

で、私は不登校になって彼は女子が苦手になったわけですね。
どっちも踏んだり蹴ったりですがなんだかんだ今も仲がいいです。普通に遊びに行ったりしますし嫌味言い合ったりします

そんな痴話喧嘩を書き連ねましたが、なぜ今回「否定」をテーマに書こうとしたのか。少しだけ自分語りをお許しください

私が不登校だった時期。フリースクールの職員だったりお世話になった先生だったりに支えられ助けられ救われた過去がありますが、その先生たちに共通していたことがあります。それが
1.趣味や考え方、得意なこと苦手なことを否定しない。
2.意見が違っても否定せずに受け入れ、別の考え方として提示する
一見簡単そうに見えるこの二つですが、めちゃめちゃ難しいんです。
自分も同じことができるように挑戦もとい努力していますが、自分と違う価値観を受け入れるのはやはり抵抗があります。そして自分の意見を通したくなって無意識のうちに否定してしまうことがあります。
生きてたら自分と価値観が真逆の人間と接することがあると思います。私は短い人生でそこそこありました。話し合いとかだと「自分の意見を通す」と「相手を否定しない」の両方をしなければいけないのが本当にしんどかったです。

と、努力を自慢しましたが当然私は聖人君子でもなんでもないので気に食わない奴も一定数います。会う人全員に同じことしてたら先に自分がダメになってしまいます。それじゃ本末転倒です。
嫌われるのは怖いですしいやですが、自分のことを嫌っている奴に優しくする義理はありません。全力で潰します。容赦はしません。
まぁこんなことするから嫌われるんでしょうけど・・

今回もかなり書きましたが少しでもこの意見?心情?理念?が伝われば幸いです。あと否定しないことの難しさも。
皆さんもぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか?
もうすぐ新年度ですので、その準備期間にぜひ

次回はまだ未定ですが、何かネタを探して書こうと思います。
何か思いつくといいんですが。


それでは

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