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遂に来た!!〜東北たび2021〜

 2泊3日のタイトなスケジュールの中で愛車SKYLINEと共に約2000kmを走り、前泊地の神奈川県から東北・宮城と岩手をめぐるたびの回記録である。

①前日の外泊
 出発前々日の朝、実家にいた。10月1日から新天地での仕事が始まるため東京へ引っ越しを進めており、そんな最中での強行スケジュールだったのだ。すでに大きい家具の搬入を終えており、その日は細かいものを愛車に乗せて実家から東京へ移動をした。新居で就寝するのはこの日が初めてだったか。翌朝、目覚めてから荷物の受け取りや小物を揃えておりとあっという間に集合時間になった。私のnoteで以前、物語に登場した肉会で六本木にあるユッチャン。にお邪魔した。必然的に二次会は友人の家に雪崩込みそのまま就寝となった。そうこの日が出発前日なのだ。もちろんたびの荷物は車に積んでのことであった。

②1日目〜恩師に挨拶。そして出発〜
 朝、友人の家を出てまず向かった先は大学時代に大好きだった恩師のお墓参りだ。新天地での仕事が決まってから行けていなかったのでどうしでもこのタイミングで言っておきたかったのだ。思わぬ渋滞に巻き込まれたが、首都圏での運転にはつきものなので仕方がない。
 ようやくの思いで東名高速に乗り東京方面を目指、せばよかったのだがナビに頼り切った私は圏央道へ誘導されるがままに乗った。もちろんこのルートでも行けることは頭でわかっていたので何の疑いもなく、ナビに従っておいた。途中、一度高速を降りて環八を使い練馬までいけと言うのだ。「ほ〜」と思いがら従った。ここからが間違えだった。このナビ、10年前からデータが更新されておらず、圏央道が繋がっていることを知らないのだ。気づいた時には時すでに...。埼玉の一般道で渋滞にハマっていた。独り言でWhat the f**kin sh*tと文句を言いながら、圏央道まで戻り、初めて通る道だが看板の指示通りに進み何とか東北道の上河内SA下りまで来ることができた。ここで初めての休憩。時間はそれほど経っていないのに疲れを感じていたので一度休憩を挟んだ。「ここからこのたびが始まる」。そう感じた。

 しばらく東北道を走り15時手前頃、宿のある街、松島に到着した。チェックインまで少しあったので宿から徒歩圏内でないスポットを回ってから向かうことにした。1つ目は"馬の背"。260の島々が浮かぶ松島。そのまだ陸続きになっている島に行くことができる場所。人物画を撮影するならば映えスポットだ。

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 2つ目のスポットは西行戻しの松がある公園。観光地となっており、高台から湾に浮かぶ島を見渡すことができることで人気の場所だ。

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 そんなこんなで時間が流れ、明日も長い移動が控えていたため、ガソリンを満タンにしてチェックインをした。名湯の多い東北、その一角を担う松島温泉の源泉掛け流しを堪能できる温泉宿であった。2泊目は平日だったこともあり、完全貸切状態で綺麗な夜景を見ながら露天風呂を堪能できたので、今回のたびの裏目的が慰安旅行であることにもしっかりとアプローチしてくれた。

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 少しだけ荷物を整理して、すぐに徒歩圏内の3つ目と4つ目のスポット、まずは渡月橋と雄島へ向かった。松島3橋の一角で悪い縁を切ってくれる橋だそうだ。そして奥の細道の舞台となった碑を拝み、島を一周した。帰りがけに松島離宮という商業施設を外から眺めた。というのも、入場力だけでそれなりの値段を設定されていたので今回は入場は遠慮させてもらった。小さいヤツです..。

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 さて、少し観光もできたところで夕飯をいただきに松島寿司幸さんへ。このご時世なので早め早めの行動が大切。店をでた19時前にはほとんどの店が閉めておりやはり普通の気持ちでいては難民になると感じた。
 ここでいただくはご当地、宮城県のネタを使った大将おまかせの握り。人生で初めて、生あなごをただ来ました。熟成した真鯛のようなもったり感とあっさりとしたあぶらの美味な魚で、地酒阿部勘をいただいておりましたがよく合う味わいでした。さらに、フカヒレの握りもお初にいただきました。東北ではポピュラーだそうで、気仙沼では酢につけたものを出すのだとか。こちらでは、多くの方の口に合うように鰹出汁でつけているとのことで、あっさりと素材の味を楽しめる1ネタでございました。食後、大将と、常連さんと少し山梨のワインの話や、寿司ネタのひと工夫の話で盛り上がり、田舎の暖かい雰囲気と素晴らしい海の幸を愉しめた最高の夜でした。

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 そんなこんなで1日目はその後、温泉に浸かり前日と長い移動の疲れで22時にはウトウトし、気づけば翌朝7時30分なのでした。

③2日目〜東日本大震災の跡地をめぐり〜

 起きて身支度をしていると朝食のずんだパンが部屋に到着。部屋でゆっくり食べられるのは嬉しい。コーヒーも特段美味しいわけではないけど、ほっと朝の時間を堪能したのはいつぶりなんだろうか。
 9時前に宿を出発。2日目の1つ目のスポットは女川駅とその近くにある道の駅。おにぎり君を撮影して反対側を振り返るとこれもまた絵になる景色が。不思議な魅力のある空間でした。

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 こちらのマザーポートコーヒーでカフェラテをテイクアウェイして、車の中で半分ぶちまけました..。とほほです。きを取り直して次の目的地へ向かっていると、道の至る所にこんな標識があることを気づく。

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 「ここから過去の津波浸水区間」の標識。雨風で古びた建物と、震災後に建てられた綺麗な建物が入り混じる景色がずーっと続く違和感は、「あぁ、自分は今、東北の街にいるんだ」と感じさせてくれました。
 そして、道も増えているもの、なくなっているものがあり、10年前のカーナビはこれ以上ないくらいのポンコツに成り果てました。本当にスマホ時代で良かったと思います。

 この日2ヶ所目の、そしてこのたびの大きな目的地である陸前高田の高田松原津波復興祈念公園。このnoteの表紙にもなっている奇跡の一本松が保護されている場所です。この場所に来たかった、この時代を若者として生きるものとして来るべきだと感じていた場所です。塩水で痛み命はなくとも凛と立ち、ここから復興の軌跡を見守っているその堂々たる姿に言葉が出ませんでした。この時期にこの場所に来られたこと、私にとって大切な場所になりました。

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 次はお昼ご飯、のつもりがあまり時間がなく3ヶ所目のスポット、気仙沼で今朝のアンカーコーヒーを粗相したリベンジでカフェラテと、マグ、ステッカー、豆を購入。今度はしっかり味わいながら次の目的地へ向かいました。

 辿り着いたは4つ目のスポット、宮古のメモリアルパーク中の浜。改修工事をしておりましたが、目的の昔キャンプサイトだった場所は見学することができました。こうして保存されている光景を見ると津波がどれだけの威力で、どれだけの距離を飲み込んだのかが想像できます。こういう景色の純保存は相当難しいのでしょう。やはりこのタイミングで来て良かったと感じる場所です。

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↑キャンプサイトの炊事場
↓キャンプサイトのトイレ

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 ついでだし、と気楽に5つ目のスポット、本州最東端の地を目指しグネグネ道を進むこと小1時間。到着するとその場所までは90分片道ほどの登山が必要とのこと。降ってきたら暗いな..と諦め。そこから戻る道はもっとグニョングニョン。しかもそんな道が1時間続くんだから、運転好きな筆者でも流石にお疲れ。酔う人が乗っていたら1日かけても抜けられないんじゃないかと思うほど途方もない道のりだった..。

 ここまでこのたびの目的地をめぐり、前日に「気仙沼ではフカヒレ云々」のお話を聞いておりましたので、気仙沼に立ち寄り寿司屋を探すことに。しかし!!!”本日臨時休業”と17時30分にしてすでに”本日完売”に振られ、夜間に高速が工事で通行止めになることもあり、渋々松島へ戻ることに。オナカスイタ。しかし、寄宿した19時には街は眠り、まさかの利休で夕飯をいただくことに。渋谷にもあるのに。笑
 いえいえ、食事が取れるだけで感謝です。この日最初のまともな食事をとり同じ宿に戻り貸切露天温泉を堪能。この日は終了。

④3日目〜観光の仕上げと寄り道〜

 起床すると昨日と同じずんだパンが届いて今日が始まった。これがほんのり甘くて塩味も程よく美味しいんだよな。さて、初日に行った悪縁切りの橋の続き、良縁繋ぎの橋の福浦橋を渡り福浦島を観光。こちらで過去の関係物を色々生産して散策をしているとハチに脅かされたので程々に退散。

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そうして3日目1つ目のスポットを後に、2つ目のスポットの見透かし橋へ。こちらは瑞巌寺という松島にある大きな神社の五大堂と言われる離れへわたる橋。下が見えることから見透かし橋(鳥が先か卵が先かわかりませんが笑)として、良縁を結ぶのだそう。この観光スポットにも、津波はここまできましたよという碑があり、ふと我に帰る瞬間。ハレとケは表裏一体なのでしょう。

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 さて、晴れて悪縁を切って、良縁を祈念して、それが結ばれるようにと3つの橋を制覇し、お魚市場でマンボウとモウカの星(心臓)を購入し、ここで松島を後にするのでした。

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 数ある中でも推し島です。かわいい。笑

 最後に寄り道は秋保温泉。これで”あきうおんせん”と読みます。読めません。ここを選んだ理由は単純。名前が可愛いから。こちらも源泉掛け流しで、日帰りでしたが完全貸切露天風呂状態でありがたや。

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 この後も実家まで愛車を走らせ、3日間で約2000kmの道のりを走破したびは終わりを迎えました。
 このご時世でなかなか旅行に行けない中で、また奇跡の一本松のある高田松原津波復興祈念公園が宣言中はクローズしており、新天地での仕事が始まる前の今しかないと1人たびを決意しました。結論から言うと、行って、行けて本当によかった。グルメな私ですが、こんなに食に頓着せずにひたすらカメラを構えたたびは後にも先にもないかもしれません。それだけ、”今”に価値観をプッシュできたたびでした。
 東北の発展はこれからも続きます。これを最後にせず、また定期的に東北にお金を使うたびをしたいと、それが大手を振って好きな時に好きな人と何を気にせずできる、そんな世の中が早く帰ってきますように。

                                 了

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