ぼくは最近一週間のなかで金曜の深夜が一番好きです。まだ土曜も日曜もある、ああ、休める、休んでいいんだ、好きな本を誰にも邪魔されず読んでもいいんだ、好きな音楽を聴きたいだけ聴いていてもいいんだ、昼寝だってしようと思えばできる。過ぎてしまうと週末は一瞬なのですけれど、自由の蓋然性が平日よりずっと拡がるので、とても解放感に溢れますし、時間的・物理的拘束力も弱まるので、それが精神衛生上とても良いのです。アンダーコロナでも、週末は週末です。といってもぼくはサラリーマン時代はかなり変則的な働き方をしていましたし、月の残業時間が80時間を超えて疲弊の極みにあったりもしたので、土日がむかしから好きだというわけはないのですが。

きょうは夜9時半ころから友人たちとZoomで2時間ほど雑談をしていました。国家神道や三種の神器やウィトゲンシュタインとその信仰などが主な話題でした。とくに最近読み終えた星川啓慈『宗教者ウィトゲンシュタイン』(1990年、法蔵館)の感想を友人と交換できたのはとても胸がスカッとしました(彼はまだ7月に刊行された増補版を読み途中)。好きなものについて語り合い、思いを分かち合える―もちろん意見が相違する部分もありますが―のはとても嬉しいことです。そう思いながら「ずっと金曜の深夜が続いたらいいのに...」と少年のような夢想に耽ってしまいます。基本的にはのんびりゴロゴロと床を転げ回ったり、うたた寝に興じたり、好きな本を読んで過ごすことに無上の喜びを感じる性質なので、汗まみれになって会社に行き、お客様に頭を下げ続け、上司にもときおり頭を下げ、安い給料をもらい続けるいとなみもむろん軽んじるつもりはないのですが(ある程度のお金が安定的に得られることはとても大事ですから)、できれば毎日―ことしの1-2月、4-5月後半までのように―賃労働にしばられず、好きな本や論文を読み込み、思索にふけりたい。そんな気持ちが「ずっと金曜の深夜が続いたらいいのに」という夢想を毎週のように起こさせるのだと思います。そして、そんな夢想が毎週のように抱ける環境にいまあること自体が、いまのぼくにとってはほんとうにささやかだけれど確かな幸福なのかもしれません。

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