なぜ満洲に惹かれるのか。その理由はぼくの祖父にある。彼は富山県の立山町に生まれ、二十歳離れた兄夫婦に育てられた。幼い頃に両親が早くに亡くなってしまったからである。祖父の兄は町の学校に勤めていて、歳の離れた弟に教育が大切なことを痛感していた。祖父はそんな兄の援助で、戦前の旧制中学に通うことができた。最初の年は家から片道16kmも離れた中学へ自転車で通ったというが、あまりにも通学が大変なので2年目から学校の近くに下宿したと聞いている。祖父は無事中学を卒業し、日本帝国の陸軍に入った。そして、憲兵隊に配属され、満洲に送られたのである。

父は若い頃、祖父の満洲での経験に興味をもち、祖父に何度か質問したそうだが、いつも祖父は泣いてしまい、祖父が答えることは決してなかったそうだ。中国の抗日映画やドラマで日本帝国主義の象徴として描かれる憲兵のように、悪辣なことを祖父がしたのかは分からない。何しろもう亡くなってしまって、彼から話を聞くことはできないからだ。暗く厳しい戦争の時代に、祖父は満洲とソ連の国境あたりでどんな辛い経験をしたのか分からない。もしかすると、罪の無い満洲人を何人も殺したのかもしれない。同じ日本人の戦友が死ぬところも、きっと見ただろう。あんな厳寒の地から祖父が生きて帰ってこなかったら、父は生まれていないし、もちろんぼくも生まれることはなかった。時々そんなふうに祖父のことを回想することがある。

満洲に対する関心はそんなふうにぼくのなかに子供のころからなんとなくあったのだが、イタリア人監督、ベルナルド・ベルトリッチの映画『ラスト・エンペラー』(1987年)を高校生の頃ビデオで観て、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の悲劇的な生涯を知ったことも印象深い。この映画では坂本龍一が悪名高い甘粕正彦陸軍大尉の役を演じており、また彼は素晴らしい音楽をディヴィッド・バーン(英国出身で、ニューヨークに住んでいるミュージシャン。トーキングヘッズの活動で有名)と蘇聡(天津出身の作曲家。ドイツ、イタリア、北京を行き来して活動)と共同で製作し、米国のアカデミー賞映画音楽賞を受賞し名声を高めた。ぼくの記憶はやや不確かだが映画は衝撃的なシーンで始まる。溥儀が洗面台で手首を切り、自殺を図るのだ。カメラはその洗面台に流れる彼の血を追っていく。排水口に向かって流れていく血に、前の戦争で流された中国、そして日本の大勢の人々の悲惨な人生が重なった。

ぼくは戦争は無くならないものだと考えている。人類の長い歴史を見ればそれは明らかだ。世界のどこでも戦乱と無縁だった土地は無い。でも、すでに無数の人の血が流された。今でも世界中で争いが続いて、平穏な生活が送れない人がたくさんいる。そういう人が一人でも減るように、自分のような小さな人物ができることは何だろうか?それは少しずつ歴史を知っていくことに他ならないだろう。人間には優れた部分もたくさんある。人を思いやったり、自然を愛したり、テクノロジーを発展させ、生活を便利に豊かにしてきた。でもその一方で、人を憎んだり、殺したり、欲望のままに自然環境を破壊し、気候変動を引き起こしている。そういったことは、すべて無数の文章に歴史として刻まれている。だから、それをゆっくりしっかりと読んでいくことが大切だとぼくは思う。

平和を願うことは、人間の犯してきた罪深い歴史を知ることによって、より強くなるだろう。ただ神様に祈っているだけでは、世の中は良くならない。自分には卓越した才能があるわけでも、有名で世界への影響力があるわけでもない。ただ10年間、日本語でいろいろな本を読む読書会を続けていることはぼくのささやかな誇りだ。読むことで、ぼくと読書会に参加してくれる人たちの心は少しずつ豊かになってきたと信じたい。ちょっと満洲の話から逸れてしまったけれど、祖父が辛く厳しい日々を一言も語ってくれなかったというその沈黙こそが、ぼくにとって、平和を考えること、戦争を考えること、そして中国と日本の長く深い関係について思いを深めることの動機になっている。その為にこれからも満洲について書かれた書物を読んでいくことだろう。そのことがこの文章から少しでも伝わったら嬉しいです。

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