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『「介護時間」の光景』(74)「バスターミナル」。9.10.

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護者の理解の一助になれば、と考えています。

 今回も古い話で申し訳ないのですが、前半は、21年前の「2000年9月10日」のことです。
 後半に、今日、「2021年9月10日」のことを書いています。

2000年の頃

 個人的なことですが、私にとっては、1999年から介護が始まり、2000年に母の症状がまた重くなり、それまでの母のかかりつけの病院に入院すると、昼も夜もなく電話がかかってきて、動いてしまう母の症状への対応に、過大なプレッシャーなどをかけられました。

 ここまでの1年間の疲れもあったかと思いますが、それが2週間続く頃、私自身が、心房細動の発作に襲われ、「過労死一歩手前」と言われました。

 それでも、とにかく24時間体制で付き添いをつけることを条件に、やっと最初の病院の入院の継続を許可されているような状況の中で、早く出ていってほしい、というプレッシャーをかけられていました。精神的な症状の高齢者の長期入院が可能な病院を探し、母の病室にいながら、自分の心臓に不安を抱えながら、いくつか病院をまわり、やっと母に合うと思える病院への転院が決まりました。

 病院自体は、こじんまりとして、入った瞬間にホッとするようなところでしたが、そこに着くまでは、最寄りの駅から、バスに乗り、20分はかかるところで、坂道を上り、さらに上がっていき、どこまで行くのだろうと、不安になるような場所でした。

 2000年の8月に転院し片道2時間ほどをかけて、とにかく病院に通っていました。家に帰ってからは、義母の介護を、妻と一緒にするようになり、仕事を辞めざるを得ませんでした。

 時々、めまいを起こしながら、毎日のように病院へ通っていました。自分が通っても、母の症状にプラスかどうかも分かりませんでしたが、もし、行かなくなって、コミュニケーションがとれない状態のままになるのも怖くて、ただ通っていました。

 それまでの病院での出来事のために、医療スタッフ自体に恐怖を覚えるようになりました。だから、転院した病院に関しても、まだ信じることができず、伏目がちに病室へいって、帰ってくる日々でした。

 ただ、暗い場所にいるような気がしていました。

2000年9月10日

『手紙を書いて、出かける。
 午後2時半頃に家を出る。

 病院に着いたのが、午後4時50分頃。
 母は、昨日のことは覚えていない。
 かろうじて、私が息子であることがわかる。

 「掃除はしてもらわないようにしないと」と真剣な口調で言うのだけど、何のことかは分からなかった。
 
 「だんなさんは?って聞いたら、社長です、と答えたのよ。
  おばあさんは、よくしゃべって」と母は話し続けたが、誰のことかも分からない。

 「わたしの方が、楽しちゃってるんだ」

 そんな言葉で、話がいったん止まる。

 午後5時40分から、食事になる。
 母は、食堂に、一人で壁際に座っていて、ボワーっと、座っている。
 時々、ただ止まっている。
 孤独な存在。

 本当に、嫌になるほど、悲しい。

 午後6時30分にやっと食事が終わり、フラフラして歩いて、病室に戻る。

 それから、ベッドで横になって、「昨日は、夜、床で寝ていたのよ」と、またよく分からないことを、しゃべり続けている。
 さらには、薬に関して、何かを言っているのだけど、6ヶ月経つと、うんぬん、といった聞き取れても内容が分からないことを言っている。

 そういえば、食堂のテレビの前に、いくつもイスが並んでいて、そういう時は、一番端に、ただ座っている。テレビを見ているというよりは、自分の前にある、少し遠くの壁を見ているようだった。目を開けているのに、意識を失っている感じ。動物みたいだった。

 午後6時40分に、母はもう寝ている。
 苦しそうな表情だった。

 そのあと、看護師さんが来て、目薬をさしてくれようとする時、ちょっと多く出て、気にしている。母が、目を覚ました。

 さっき、食事をしたばかりなのに、何度も何度も何度も、食事の時間を気にしている。
 それは、もう食べたから、平気だと言っても、また何かを話す。

 オールスターキャストで、前がはだけて、うんぬん。何かを気にしているのだけど、何を気にしているのか分からない。

 今日は、床がすべすべで、壊したのだけど、サラリーマンだったんだね、と言葉がつながっている。

 ただ、聞いている。意味は分からない。

 帰り際に、病院のスタッフに、昨日の夜の様子を聞いたら、夜、ウロウロしていたらしい。本人は、「してない」と、必要以上の真顔で言っている。

 また疲労感がひどくなる。
 
 また、悪くなっていくんだろうと、改めて思う。
 もう、止まらないんだろうか。


 6月の時は、母はおかしくなり始めてから、急に戻るまで約5週間かかった。
 今回は、9月3日くらいからだったから、10月中旬くらいが目安なのか、それとも分からないのか。もう戻らないのだろうか』。

バスターミナル

 日曜日の夜。病院を出て、歩いて5分くらいのバスターミナルに行く。
 大学のキャンパスのすぐ近く。学校がなければ、このバス路線はなかったのかもしれない。周りには緑が多く、日曜日は、バスの本数もすごく少ない。この時間になると1時間に2〜3本になっている。

 虫の声が大きい。うるさいといっていいくらい。その中で違和感のある声。確かカネタタキ、という名前だったはず、と思わせるような声が異質な声を響かせている。

                        (2000年9月10日)


 そんな生活が続いたが、2007年に母は病院で亡くなった。そのあとも、義母の介護を妻と一緒に続け、その合間に勉強をして、2010年には大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得した。

 介護を続けながら、「介護者相談の仕事」も始めることができたが、2018年の年末に、義母は103歳で亡くなり、介護生活が終わった。その後、体調を整えるのに、思った以上の時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。


2021年9月10日

 このところ、すっかり涼しくなり、このまま秋になるかと思っていたら、昨日あたりから、温度が上がってきて、今日は、午前中には、セミが鳴いていた。
 こちらが勝手に秋になるかも、などという気持ちと関係なく、セミはとても強く鳴き続けて、それだけで、まだ夏っぽいかもしれない、などと思えてくる。

 昨日までは、雨がちだったので、太陽が照ってくれるようになると、少したまってきた洗濯物を洗えるから、なんだか嬉しい。

 洗濯ものを入れて、スイッチを入れる。

感染者数

 ずっと都内では新型コロナの感染者数が増えて、さらに増えて、もしかしたら1万人を超えるかもしれない、といった怖さがあったが、8月下旬頃から「減少傾向」になり、昨日のニュースでも、先週の同じ曜日に比べて、1000人以上減少した、と言われていた。

 でも、重傷者は251人。亡くなった方は、19人。

 一時期、大きく話題になっていた「自宅療養」、人によっては「自宅放置」などと言われてしまうような、感染しても入院できない人が、どのくらいいるのか。それについては、「減少傾向」と、「自民党総裁選」の話題があふれているせいか、あまり聞かなくなった。

 だけど、去年の9月9日は、都内では新規感染者数が149人だった。それでも、だんだん怖さが増していたような記憶もある。

 まだ、とんでもない数なのに、そのことに少し慣れてきてしまったのだろうか。

毎日

 ここのところ、家にこもる日が多く、まだ収入が少なすぎる焦りはあるものの、外出を増やすことも、今の状況だと難しく、そして、ワクチン接種が終わったとしても、感染しないわけでもない。

 なんだか淡々と毎日が過ぎて、それは、ありがたいことでもあるのだけど、何も成果が上がらない、といった焦りがあって、そして、この繰り返しで、老いていって、そのうちに死んでいくことを考えると、「何をやっているんだろう」と、なんだか意味がないような気がして、虚しくなることもある。

 庭の花を見て、きれいに咲いてる、と思って写真に撮る。

 そういえば、なんで生きているのか分からなくなる、といったことを妻に言った時に、「それは一緒に生きている私も、否定してることになるんだよ」と、いつもは穏やかなのに、少し強めの口調で言われたことがあった。

 とても正しい言葉だった。
 そんなことを、率直に言ってくれる人と一緒に暮らしているのは、ありがたい、と思った。

買い物

 なるべく買い物に行く回数を減らすようにしているが、それでも必要なものはあるし、今日は天気もいいから、道を歩くだけで、ちょっと気持ちがいい。

 道路には、高校生が多く歩いている。丈夫そうな体にマスクをしている若い人の姿は、利他的でもあるのだけど、やはり、違和感も抜けない。

 郵便局に行って、大きめの封筒を窓口に出して、140円を払う。
 そのあと、トイレットペーパーを買ってから、小さめのスーパーに向かう。

 前から、荷台がコンテナのように四角いトラックが走ってきたから、よけるように道路の端に寄る。その四角い荷台の上から、垂直に落ちるように、すべるように、黒いアゲハチョウが落ちてくる、と思ったら、羽ばたいて、また上に向かっていった。

 そのトラックが去った後に、歩いてきた白い髪の男性は、おそらくユニクロで売っている村上春樹のTシャツを着ている。表情は、なんだか機嫌が悪そうに見える。

 あのデザインは、確か「風の歌を聴け」の表紙のはずだった、などと私も知っているけれど、その男性は、さらに年上で、おそらくは70代の村上春樹と同世代くらいに見えた。

夕暮れ

 このところ、恒例になっている、安定した展開の昔のドラマの再放送を、妻と一緒に見ながら、お菓子を食べ、コーヒーを飲んでいたら、午後5時を過ぎていた。外を見たら、やけにオレンジに見えたので、もしかしたら、今日は、凄い夕焼けになっているのかも、という話を妻とした。

 だけど、久しぶりに晴れたから、そう見えているだけかも

 そんなようなことを妻に言われ、そうかもしれないと思い、道路に出て、夕暮れを確かめようと引き戸を開けたら、「夕焼け、すごかったら、教えて」と言われる。ほんの数メートルなのに、と思いながらも、サンダルをはいて、道路に出て、日が沈む方を見たら、思ったより、明るかった。

 確かに、夕暮れの気配はあるけど、それは、本当にわずかで、不思議だった。

 妻が言った通り、久しぶりの晴天で、だから、普通の夕暮れの気配が、特別に見えただけかもしれない。

花の名前

 一緒に、庭を見ながら、さっき写真に撮った花の話をする。

 すると、最初に、「〇〇〇〇」と聞いたことがない音の並びが返ってきたけれど、分からないうちに、「あの、青い花だけど」と一応確かめたら、また知らない音が固まりで返ってくる。

 半分、分からないまま、「え、ユリカモメ?」と返したら、思った以上に笑われた。

 その花の名前は、「ルリマツリ」だった。
 何度か聞き直さないと、覚えられなかった。





(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただけたら、ありがたく思います)。



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